地球。
 日本。
 漆黒の空。
 そこにあるのは、空と同じ色をした鉄の箱。
 鳴き声の変わりにけたたましい音をたて、悠然と闇の中を泳いでいる。
 その鉄の箱……「ヘリコプター」の中にいる男は、ヘルメットの側面に手を当て、無線のスイッチを入れた。    
「……こちらD8。ただ今日本上空を移動中。3時間後にはそちらにつく筈だ」
 瞬間、雑音が入る。相手側がこちらと繋がった証拠だ。
「了解。こっちは安いタバコと冷めたコーヒーでも用意してまってるよ。……しかし、できるなら早く来いよ?あちら
におられるメンインブラック顔負けの御方達がご立腹しない前にな。……できるなら、個人的にも早く来てもらい
たいが」
 その言葉をどう受け取ったのか、パイロットは口の端を歪める。
「おいおい。なんだお前、そっちの趣味があったのか?」
「ああ、もちろんだとも。さあ、早くこっちのベッドに……」
「だあうぜえ! クソ気持ち悪いこと言ってんじゃねえよ!……どうせあれだろ?ああいうお偉いさんに早く帰って
欲しいだけだろ」
 ヘルメットの内側、小型スピーカーの奥でこらえ笑いの音がする。全く悪い癖だぜ、あいつのからかい性は、と
心の中で嘆息する。
「……しかしまあ、そんなとこだ。正直、あの雰囲気は俺も好きになれんよ」
「それに関しては俺も同感だ。だが、俺らの血税を湯水のように使う役人が、何で俺らみたいな民間業者に頼ん
だんだろうな?おまけに中身はトップシークレットときた」
「ま、確かにらしくはないな。それほど大事なものなら軍用機でも使いそうなモンだが……。まあ、乗せてるものが
乗せてるものだ。誰かに狙われているのかもしれんな。だから、商売柄口が堅くしかも足がつきにくい民間を選ん
だ。というのが妥当な線だろう。軍が動けばすぐにばれるからな」
「な〜る。ま、確かに俺たちは信用第一だしな。バラすことは……っておい!」
「ん、どうした?」
「お前、それじゃ俺はヤバイ奴等に狙われてるってことかよ!? ったく、勘弁してくれよ……」
「今ごろ気付いたのか、お前? …………まあ、あくまで可能性の話だ。これは根拠のない憶測にしか過ぎんさ。
……それに、明日は娘の誕生日だろ? お前が祝ってやらなくてどうする」
「……ああ、そうだな。世界一可愛い娘が、俺の帰りを待っているしな。『パパ〜、絵本読んで〜』とか言ってな。
あ〜くそ! マ〜ジカワイイよな〜うちのマイエンジェルは!!」
「……ストロベリートークを延々と垂れ流すつもりなら、お前のスピーカーに『蝋人形の館』をエンドレスで叩き込
むぞ」
「んだよ、せっかく俺の幸せを分けてやろうと……」
 そこで、会話は中断される。
 耳障りなアラート音が響き、円形のレーダーの端に緑の点が生まれた。
「なんだ!? こっちに向かって……なんてスピードだ!」
「こっちでも確認した! これは……ミサイル!?」
 いつも冷静な情報管制室の相方が、珍しく焦った声を出す。
 その不吉な情報に、舌打ち一つ、パイロットは顔を歪める。
「何だと!? クソッ、軍はなにやってやがる! 誤射じゃなけりゃモロに領空侵犯だぞ!!」
 切羽詰った愚痴を垂れながらも、パイロットはミサイルを振り切ろうと操縦桿を倒し、右に回す。
 それに追随するように、ヘリは体を倒し、スピードを上げながら右に曲がる。
 その動作は、民間の輸送業者にしてはいい腕である。
 しかし、無慈悲にもミサイルはヘリめがけて軌道を変える。
「だめだ! 振り切れねぇ!」
「アクティブホーミングか! チャフは積んでないのか!?」
「アホか! んなもん積んでるわけねぇだろ!!」
「早くパラシュートで脱出しろ! 急げ!」
 焦りが完全に声に出る。怒鳴るような声の後……
 鼓膜に耐えがたいほどの大音響が飛び込んできた。
「……達樹?」
 何が起こったのか?ガンガン鳴る耳を抑えながら、オペレーターが問い掛ける。
 しかし、今ヘッドホンのスピーカーから流れるのは雑音のみ。
 何が起こったか、信じたくない。だから、何度もパイロットの名前を呼んでみる。
「達樹! 返事をしろ、達樹っ!!」
 だが、返事は来ない。幾度呼びかけようと、返事が返ってくることはない。
「達樹・・・・達樹イイィィィィィィィィィィィッッ!!」
 友を失い絶叫するオペレーター。
 その後ろにいるはずの黒服の男達は、既に姿を消していた。













 その二日後、同じく日本。
 某県某町某番地。
 そこには、二階建ての家が建っていた。
 面積もそこそこ、外観もシンプルながらにいい雰囲気を感じさせる洋風の建物だ。
 だが、そこにある雰囲気は、その建物に似つかわしくないものだった。



「……………………」
 その家の2階。
 道路に面した窓のある部屋に、少年がいた。
 中肉中背で、茶色の少し柔らかい髪の毛。体も発展途上で、多少幼さを感じる。見た目から優しさと力強さを感じるということは、彼がそのような恵まれた、幸せな環境にいた証拠だろう。
 しかし、その表情だけが違った。
 無表情……いや、違う。これは、あまりのことで感情が出せないか、それとも全ての感情を出し切ったか……。
 それは決して完璧に表現できるものではない。あえて言うならば、顔の全ての筋肉が動いてない、ということか。
 表情を動かさず、男は黙々と部屋のものを整理している。
 もはや、使われなくなた部屋の主の遺品を・……
 次々と、思い出のこもった品がダンボール箱に詰められていく。
 だが、そこで手が止まる。
「日記……」
 男が喋った。だが、その声も抑揚に乏しい。
 男は日記を開いた。
 パラパラとめくり、簡単に目を通していく。
 そこに書いてあるのは、ありふれた日常と、主の想い。
 最近、部活が楽しくて仕方がないこと。
 友達とケンカしてしまって、ものすごく後悔していること。
 流行の恋愛ドラマを見て、ボロボロ涙を流したこと。
 自分で作った弁当を友達につまみ食いされて、怒った事。
 そして……
「明日はお兄ちゃんを海に誘おうと思ってるの。明日は、すっごく楽しい一日にするんだから!!
えへへ、凄く楽しみだな〜……。お兄ちゃん、きっと喜んでくれるかな? 大丈夫だよね? 
ジーナさんも一緒に考えてくれたし……。ジーナさんがお兄ちゃんに悪さしないか、ちょっと心配だけど……でも、
明日はきっと、お兄ちゃんにとって心に残る日になるような気がするんだ。星占いでも明日の運勢は抜群だった
し……。
よーし、明日は頑張るんだからっ!」
 最後のページには、そう書かれていた。
 日付を見ると、7月18日となっている。
 今からちょうど一昨日の日付。
 そして、それは………………





 妹がこの世からいなくなった日。





「っ…………!!」
 男は日記を抱いて、体を自分で抱えるように、正座のままでうずくまった。押し寄せる悲しみに耐えるため、壊
れてバラバラになりそうな心を押しとどめるために。
 泣かない、泣くことはできない。
 しかし、想いに反して涙が頬を伝う。
「由宇……由宇ッ…………!」
既にいない部屋の主、妹の名を叫ぶ。叫ばずにはいられない。
「なんで……なんでこんなっ!」


 あの日、妹が外に出かけてくるといったあの日。
 両親は既に他界して妹と二人で暮らしている僕は、家事で忙しいのを理由に、「妹のちょっと付き合って欲しい」
という申し出を断った。
 妹は頬を膨らませて不満の意を示したが、仕方のないことなのですぐにあきらめて出て行った。
 そう、いつもの笑顔を残して……。
 それが妹の最後の姿となった。
 一昨日の午後にヘリの落下事故に巻き込まれ、妹は帰らぬ人となったのだ。
 はじめてその遺体を見たときは、傷一つない妹を見て、とても死んだとは思えなかった。
 医者が何かを言っていたような気がするが、なんと言っていたか覚えたない。
 昨日の葬式も、僕はぼうっとしていた、何が何だかわからなかった。
 何故皆が泣き、妹が葬式をあげられているのかが分からなかった。



 ねえ、何で皆はそんな悲しそうな顔をしているの? 妹の葬式なんか上げて、悪い冗談だよ。











…………イモウトハ、イキテイルノニ…………











 そんな僕を見た親族の人たちが、僕に「うちに来ないか」と言った。
 だけど、僕は断った。何故かは分からなかった。覚えてもいない。
 そう言えば、ドイツ人のクウォーターである幼馴染が僕を見ていた。
 声をかけづらそうに、何故か瞳をそらして。まるで、自分が悪いとでも言うかのように。
 そして僕は僕しかいない家で寝て、今日、今、僕しかいない家で妹の部屋を整理している。
 自分でもよく分からない。何でそんなことをしているのか。でも、体が勝手に動いていた。まるで、体だけが妹の
死を認めるように。



 そして今、心が気付いてしまった。
 妹の、最愛の家族の笑顔を見れないことに。
「うっ……ううっ……」
 叫びがすすり泣きに変わる。
(僕が、僕があの時ついていかなかったから・・・・)
 不慮の事故であった。ヘリのパイロットは死んでおり、誰も責める者がいない。だから、自分を責めることしかで
 きない。
 右手が白くなるほど硬く握られ、爪が掌の皮を食い破る。
 滲む血は振り上げられた拳によって弧を描き……
 ドン!
 振り下ろされた拳によって、辺りに飛び散る。
 そしてまた振り上げられ、振り下ろされる。
 何度も、何度も、何度も。
 まるで、自分の全てを自分自身で否定するかのように。
「うっ、ぐ…………うあああああああああっ!」
 そして、渾身の力を込めて拳を床に叩きつけようとした時。
 何かが空気を裂く尾を引く音とともに外に落ち、全てを揺るがす音を発し、同時に部屋にある一つしかない窓か
ら眩い白光が降り注いだ。
「!?」
 密度の濃い光。それはまるで質量を持ち、すべてを包み込むかのように広がり・・・・・
 完全に部屋が白で塗りつぶされたと思ったら、一瞬で光は消えた。
「……今の、は………………?」
 事態を確認するため、少年は立ち上がってドアから外に出ようとし・・・・
 手に妹の日記を持ったままだということに気付く。
「…………」
 しばらく日記を見つめる少年。
 その日記にこもった想いを、自分が馳せた想いを確認するかのように。
 そして少年は日記を青いTシャツの上のジャケット、その内ポケットに入れ、歩を進めた。



 少年が玄関から外に出た。
 玄関には数々のガーデニングが飾ってあり、その家の主のセンスの良さが感じられる。
 そして、「石動 蒼馬  由宇」と名札の張られた正門を抜けて、道路に出る。
 そこには……
 一振りの剣が刺さっていた。



「なんで……こんな…………」
 訳が分からなかった。何故こんなところに剣が刺さっているのか?
 しかも、あれだけ大きな音と爆光があったのに、周りから誰も人が来ない。
 ここは住宅街である。それに、あの好奇心旺盛な幼馴染が出てこない。
 それに……
 少年……石動 蒼馬は冷や汗とともに生唾を飲み込んだ。
 見た目は無駄な装飾が多いが、これは確かに剣だ。厚めの刀身が鈍く光り、まるでマンガやアニメみたいだ、と
 思った。
 しかし、そんなことは問題ではない。
 ただの剣なのに、物体のはずなのに…………
「なんだ……この威圧感」
 何かを感じる。強大な何かを。
 蒼馬は一歩、また一歩と剣に近づいていく。
 『何か』に押されているような感じがするのに、何故か進まずにはいられない。
 進むごとに『何か』は大きくなり、だんだんと吹き飛ばされそうな感覚に陥る。
 そして、剣のすぐ側にたどり着き……
 恐る恐るその手を伸ばす。
 その手が金属特有の光沢を放つ柄に触れたとき、
 ゴウッ!
 相馬と剣を中心に衝撃と烈風が渦巻いた!
「!?」
<我を選びたるは、蒼哀の鎮魂歌……彼の者は紡ぎ手、運命に抗いし者なり!>
 声が聞こえた。それも、頭の中に直接。
 そして、それを契機に膨大な情報が頭の中に入ってくる。
 この剣の名前は「ミストルティン」だということ。
 この剣が「運命兵器」だということ。
 「運命兵器」とは運命を切り開くことのできる武器、だということ。
 自分はこの剣に紡ぎ手、つまり主に選ばれたということ。
 その他、使用方法、紡ぎ手としての能力などが脳内に流れ込み……
 最後に、


「運命兵器は、8つ全てを集めることにより全ての運命を変える力を発揮する」



 その言葉を残して、言葉は途切れ、烈風と衝撃はまるで元々なかったかのように漆黒の空に散った。
 かなりの情報量を無理矢理与えられ、脳に負担がかかったせいで蒼馬は立っていられずに膝をつく。
 肩は早いテンポで上下し、吐かれる息は荒い。嫌な汗が全身から噴き出している。
 右手には、いつの間にか剣が手中に収まっている。
 なかば朦朧とする視界の中、蒼馬は何とか体に力を入れ、体の調子を整える。
 剣を杖にして立ち上がり、額に浮かんだ汗を拭うこともなく、蒼馬は剣を見つめる。
「なんなんだ、これ……」
 いや、そんなことは分かっている。さっき情報を無理矢理頭に叩き込まれたのだから。しかし、それでもそう言わ
 ずにはいられなかった。
 蒼馬はただ立ち尽くしていた。まるで、蒼い空に包まれるように……。


 これから自分が哀しみと激動の渦に巻き込まれていくことも知らずに…………。。









 残酷な運命は今より始まり、神に仇成す運(さだめ)の宴が、今、始まる……。








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第1話 ”運命”〜ヴェートーベン交響曲5番〜