――新章・上――

 『これ』は、誰もが知らないだろう。何故なら『これ』は、混乱を招くとされたために異端の烙印を押され、時の施政者から葬り去られてきたからだ。だがしかし、『これ』は確かに存在する。存在するのだ。
とは言うものの……隠さなければ、全てがバベルの塔のように崩れ落ちていたかもしれない。
 そういった意味では、真実を隠すという愚直な行動も、正しいと言えるかもしれないが……。
 …………先に断言するが、『これ』は誰にも変える事の出来ない事実である。だから、知らない者に真実を与えるため、私はあえて汚名をかぶってパンドラの箱を開くとしよう。
 はてさて、この<全てを与えられた女>の持つ箱には如何程の希望が残されているのだろうか?
 …………それは、この歴史を知った者のみが導き出してくれることだろう。
 では、読み解こうか。この、『名も無き神話』を――――――




 そこは、不思議な世界であった。大陸の形も、住んでいる人間も、私達のモノと全く変わらない。だが、そこには見たこともない動植物があり、文化があり、社会がある。それは、一見すれば中世ヨーロッパによく似た文化をもっていた。
 だが、中世ヨーロッパには魔法も、ましてや全長8メートルほどの人型の機械、『重騎士』等ある訳がない。全く持って異質である。
 そんな世界の、我々の世界ではヨーロッパと呼ばれている大陸は、ここではエルリナと呼ばれている。そのエルリナの北東部には、その大陸と同じ名を冠する国がある。どちらかといえば領土は狭く、作物はある程度はあるが軍隊は質が悪い。ありていに言えば弱小国家である。
 そのエルリナ大陸にある王国、『エルリナ』にいる一人の男から、この物語は紐解かれる。

 そこは、とても賑やかであった。人々が幅広の道で露店を出し、大声で商品の宣伝を行う。多くの人が露天の前で立ち止まり、母親は子供と一緒に笑顔で何を買おうか話し合っている。
 「どけどけーーー! 轢かれたくない奴は道を開けろーーーー!」
 道の真中には、ウマに似た漆黒の動物が馬車を引き、大通りを走っている。それに驚いて転んだ弟に兄が手をかざすと、弟は泣きそうな顔をほころばせ、嬉しそうに兄に起こしてもらった。
 これが、この国の日常である。
 軍事力も経済力もない弱小国家ではあるが、人々は幸せに暮らしている。周りには笑顔の花が咲き乱れ、喧騒が途絶えることはない。
「…………………………」
 だが、それを何の感慨も持たずに見やる男がいた。
 男は細身ではあるもののしっかりと筋肉がついていて、力強さとしなやかさを感じさせる体つきをしている。目つきが鋭く表情が乏しいせいか、顔立ちは整っているのだが少し怖く、近寄りがたい印象を与える。
  体には鈍色の鎧を着込んでおり、腰のベルトに携えられたソードの柄には、エルリナの国旗にも描かれている『槍と八本足の馬』のマークが彫られている。
 これはエルリナの国民が崇める神達の主神・オーディンから来たもので、「聖王国」とエルリナが呼ばれる所以でもある。そしてそれは、同時にエルリナの軍隊である重騎士課の人間であることを示していた。
 しかし、何故治安維持の警備隊ではなく、軍の人間がこんなところにいるのか?
 その答えは簡単である。エルリナは弱小国家である故に人手が少なく、また最近は戦争や紛争も無く平和である。そのため、この頃はエルリナの治安を守る警備隊として駆り出され、巡回を命ぜられているのだ。
(欠伸をかみ締めるのに難儀しそうなほどの光景だな…………)
  何も問題が無いことを認めたその男―−アーク・セイクリッド――は、思いを顔に出すこともなく、踵を返して人ごみの中にまぎれていった。

  エルリナ城。
  それは、内部の装飾のきらびやかさや切り出した石を積んで作った城壁など、他の国の城とほぼ程度は同じ、よくある分かりやすい城である。
  だが、目立った違いが一つだけあった。
  エルリナ城を上から見下ろすと、十字架のような形をしているのだ。そして、十字架の先には正方形がくっついていて、それぞれ右側が軍事や治安をつかさどる重騎士課、左側が魔法の研究、解析を行う魔導課、上側が重騎士のメンテナンスや解析、日常品に及ぶ物品の開発をつかさどる工房。そして、下側…………城門に一番近いところが外交、内政をつかさどる皇務課、となっている。
  そして、そこの工房に付属する実験場兼練習場である「練闘場」に、アークは立っていた。
  巡回から帰ってきたアークは重騎士課に報告書を提出しに行き、重騎士課室長であるレイジ・セイクリッドに工房に行けと言われたのだ。
 恐らく、退屈そうにしていた自分に活を入れるためだろう。表面に出さないようにしていたつもりなのだが、あの鋭さの中に老練さを織り込まれた目には、全てを見透かされる感じがする。ビシッときまった白髪混じりのオールバックから見て取れるように、厳格な気質の人間なのだ。
 こういうときは、決まって重騎士でマンツーマンの訓練をやらされる。その光景を思い浮かべ、眉根を寄せながら、傍らに鎮座する8メートルほどの騎士……「重騎士」を見やる。
 重騎士―――――
 重騎士とは、全長8メートルほどの、鉄の巨人で。人が乗り込んで猛威を振るう人型兵器である。もう、数十年前から使われて久しい、この世界の重要な戦力でもある。
 それほど長年扱っているにも関わらず、重騎士が何であるのかはいまだに分かっていない。その神々しい姿や尋常離れした能力から、世間一般では<神>であると認識されている。神は自分そっくりに人間を創りたもうた、という聖書や神話の一部から来ているのだろう。
 確かに、パっと見は人間のように見えなくもないし、実際その類の書物にそっくりな絵が描かれている、というのもあるのだろう。もちろん、それ以外に過去の高度な文明の遺産であるとか、歴史学的・科学的な意見も少ないわけではないが。
 そんな重騎士は、ほとんどの場合地面の下から発掘されて地上に出てくる。長い間放置されていたせいか大体がどこかに故障個所があり、それを何とか乏しい知識で修理して使っているのが今の現状だ。まれに、新品同様の重騎士が発掘されることがあるらしいが、奇跡に近い確立の話である。
 そして、土の中に埋もれているせいか、それとも修理に手がかかる重騎士が多いせいか、それは数が少ない。そこそこの国でも5騎、大国でも10騎、多くて20〜30騎ほどである。だからこそ、人々はそれを欲しがる。それ一騎が一個師団をものともしないほどの力を持つが故に。重騎士が1騎多いか少ないかが大国と小国の分かれ目、と言われるほどである。
 エルリナに存在する重騎士は、わずか3機。
 圧倒的に少ないが、これでもまだいいほうである。場所によっては、一騎もない国があるのだから。
 しかし、何故貴重な重騎士をそんなことに駆り出すのか?
 答えは簡単である。
 第一に、重騎士を扱えないと意味がないということ。
 重騎士は操縦が難しいため、操者の育成が難しい。だから、その分訓練を重ねる必要があるのだ。ただ、それでも乗れない人間は多いが。
 第二に、重騎士に対する知識が圧倒的に少ないこと。
 重騎士は高度な技術の塊であるため、解析が難しい。それで、色々な試験を行って情報を取得し、多面的に見ていかなければいけないのだ。
「……………」
  アークの視線の先にある重騎士。それは、酷使しすぎたせいであちこちに補修の手が入り、ともすればフランケンシュタインのようにも見えた。名前は忘れたので、アークは皮肉を込めて『デクの坊』と呼んでいる。
  幾度も修理され、パッチワークのような装甲になっているずんぐりとした手足。そして、今は開いているが、無駄に装甲の厚い胸部。基本的に重騎士は胸部が開いてそこから人が乗ることができるのだが、この『デクの坊』は年代もののせいかうまく胸部が開閉しない。重騎士の中でもいまいち性能が悪く、馬力はあるが動きが遅い。
  素早い動きを信条とするアークにとっては、最悪の組み合わせである。
  その鉄のヌイグルミを見ていると、不意に地面が揺れ、大きな音がした。
 聞き覚えのあるそれは、重騎士の足音。装甲と各関節の軋む大袈裟な音を立てながら、アークの前方10メートルで重騎士が止まった。
 その重騎士もアークの重騎士とほとんど変わりがない。昔は全然別物だったのだろうが、度重なる駆動実験と補修が、その重騎士の本来の姿を失わせていた。しいて違うところを挙げるとするならば、あっちの重騎士には角が一本ついていて、少しアークの重騎士より全長が大きいだけである。
 と。
 蒸気と熱気を各所排熱孔から噴出し、前方の重騎士の胸部が開いた。
「準備は出来ているようだな。訓練とはいえ、手加減はせんぞ」
「……望むところです」
 アークは重騎士のヒザや腕を伝って軽々との中に入り、重騎士と自分のコンディションを確認しながら胸部を閉める。
 が、急に、世界が上下にシェイクされた。
  胸部が閉まる途中、派手な音を立ててガクガクと胸部が揺れる。
「チッ」
 軽く舌打ちして、アークは制御室の脇にある制御版の四角いボタンを幾つか押す。
 すると、何事もなかったように胸部が滑らかな動作で閉まった。
 制御室の中は薄暗く、狭い。
 前方にヘルムのバイザーのような視界確保用の穴が空いているが、それだけでは十分な光が入ってこない。弓矢などの細いものを通さないためであろうが、そのせいで視界も劣悪である。
 アークは重騎士のコンディションチェックを確認した後、無駄のない動きで近くにあった模擬刀と盾を装備する。
 制御室の中からはどちらも見えなかったが、何十回とやったことである。自然と体がその位置を覚えている。
 地の底から響くような、力強さを感じる音。
 マナを力に変えて全身に伝達するモーターが唸りを上げ、不恰好な頭についている目が光る。各部の動力伝達機が汲み上げた力が頭に行っただけのことなのだが、それが逆に、生きているかのような錯覚を抱かせる。
「…………フン」
 それを見て、アークは嫌悪感の混じった吐息を漏らした。
 アークには、重騎士が何故人の形をしているのか全く分からなかった。というか、何故こんな形のものが過去に作られたのか、それが分からない。
 例えば、元々制御室は閉めると真っ暗で何も見えない。だから、他の国もそうだが、普通はこのように胸部の装甲を削って覗き穴を作る。
 それに、何のためにあるのか分からない頭部。目が二つあるが、何かに機能するということはない。
 それに、操縦方法についてもそうだ。基本的に椅子の肘掛に当たる場所にそれぞれ赤い玉があるのだが、それを掴んで動きをイメージすることによってそれと同等の動きをする。だが、そのコツを掴むのにかなりの苦労を強いるのだ。しかも、誰もが操縦できるわけではない。
 このような兵器としては不完全なものが、なぜ過去に作られたのか……。そもそも、兵器ですらないのかもしれない。
 あまりにも不要なものが多すぎる、生きているかと錯覚させる兵器。
 だからこそアークは重騎士が苦手で、完全に命を預けることが出来ないのであった。
 それを振り払うように完全に火が入った重騎士を前に出し、アークは重騎士に不快感を振り払えずも模擬刀を構えた。
 その構え方は、正規の騎士のものではない。名誉と秩序を重んじるものではなく、確実に人を殺すための構え。
 相手の方も模擬刀を構えるが、アークとは違い、盾を持っていない。その代わり、二振りの模擬刀を携えている。
 こちらも正規の騎士の構え方ではない。幾多の戦場を戦い抜いたものだけが体得できる、非常に合理的な構えである。
「行くぞ」
 そうレイジが行った瞬間だった。
 烈風。
 脚部と背部の緑玉から勢いよく風が放出し、見かけの鈍重さからは想像もつかないほどの突進力でアークに迫る。
 普通、重騎士はどこかしこについた宝石にも似たマナ変換型推進器(一応火薬式の推進器はあるが、現代のような燃料や推進剤を使った推進器はない)から風に変換したマナを放出することによって高速移動することが可能である。
 だが、それができるのはほんの一握りしかいない。操縦以外にもマナの操作に集中しなければいけないため、その難しさは想像の外である。
「……!!」
 一瞬で目の前まで迫った重騎士を、アークは盾で突き飛ばそうとした。
 あれだけスピードが乗っているのだ。自分も吹き飛ぶかもしれないが、相手の方は自分以上にただでは済むまい。
 だが、それも予測されたかのようにレイジは半身になりながらアークの側面へと回る。
 スピードはそのままに、ほとんど直角のような方向転換。
 その無茶苦茶な操縦は、並の騎士ならたまったものではない。だが、それを易々とこなすのがレイジだ。
 側面からのタックルに、アークの重騎士は無様に真横に吹き飛ぶ。
 鉄同士が軋みこすれる大きな音を立てて、地面を滑るアークの重騎士。それをレイジは追いかけ、逆手に持ち換えた右手の模擬刀をアークに振るう。
 が、アークも並の騎士とは訳が違う。
 横に転がりながら模擬刀をかわし、離れざまに模擬刀で切り払う。
 鉄同士の甲高い叫びと、火花が散った。
 アークの模擬刀がレイジのもう一本の模擬刀によって止められたのだ。
 だが、アークは何とか態勢を立て直す時間を稼ぐことが出来た。立ち上がったアークはもう一度構え直し、眼前の敵と相対する。
「…………また、戻りたいのか?」
 声が聞こえた。マナを応用した拡声器のものである。年季のかかった渋い声が、多少機械的な音声となってアークの耳に届いた。
 何を言いたいのかは分かっていた。だが、アークはそれに答えようとしない。
 それをどう受け取ったのかは分からない。レイジは再び口を開き、アークに問う。
「アーク……お前を見ていると、どうにも平和が窮屈そうに思える。お前は、昔の…………」
「分かっていることを何度も口にするつもりはありません。答えは一つです」
 レイジの声を遮ったアークの声は、強い否定を秘めていた。
「ならば、もうちょっとシャキッとしろ。そんなふ抜けた態度では誤解されても仕方がないだろう」
「……了解」
 その答えにレイジは納得せず、軽い嘆息をした。まるで、「分かってない」とでも言うかのように。
「もういい。今日はたいした仕事も残っていない。お前は重騎士を格納し、整備を手伝え。それが終わったら、家に帰って自分のことをじっくり見つめ直してみろ」
 それだけ言うと、レイジはアークの横を通り過ぎ、工房の格納庫へと去っていった。
 その姿を動かずに眺めていたアークだったが、しばらくすると格納庫へと歩き始めた。
(確かに、今の俺は腑抜けているな……)
 自分でもはっきりと分かる。どうも平和を素直に享受できない自分がいることを。
 だが、血塗られた過去を送った自分にとって、平和とはあまりにも大きく、どう過ごしたらいいか分からないの。
 今は昔に戻りたいとは思わない。心の隙間を埋める最後の1ピースは、ここでしか手に入らないからだ。
 だが、自分がレイジと出会ってから6年。
 いまだに、体に染み付いた価値観、思想は完全にとれない。それが、幼少より叩き込まれたものならなおさらだ。
「嘆いても仕方ない、か。今はやるべきことをやるだけだ」
 格納庫の目の前まで来たアークは、所定の位置に格納するためさらに歩を進めた。

 格納庫。
 格納庫は工房の管轄で、縦50メートル、横150メートル、高さ15メートルほどの吹き抜けになっている。
 前方の縦12メートル、横8メートルほどの扉をくぐると、中は簡素な空間が広がる。
 国自体にそれなりの活気はあるものの、国そのものの収入は少なく、軍事費も優遇してもらっているとはいえ決して多いものではない。
 急ごしらえの箱のような格納庫には、大型の整備用機械などあるはずもなく。
 強いていうなら山積みの装甲版やネジ、といった部品や紙の束があるだけである。
 非常に雑多で、油や鉄の匂いが充満する格納庫。
 そこで、アークは自分が乗っていた重騎士の右腕部の関節を調節していた。
 元々騙し騙し使っていた機体だ。あちこちに不備がある。
 しかし、それはこの世界の重騎士のほとんどにも言える事である。
 重騎士の技術は日々解明されているとはいえ、ほとんどの部分はいまだに不明である。
 だから、少しでも重騎士を知るために色んな実験を行う必要がある。
 だが、重騎士は数が少ない。
 結果として虎の子の重騎士は酷使され、アークやエルリナの重騎士まではいかないまでも、継ぎ接ぎだらけになることが多い。
 まあ、エルリナの南西に位置する「デイトリーク」のような大国は別であるが。
(だいぶ酷使されているな。前に使っていた奴の整備が悪かったのもあるんだろうが……関節部まわりの基礎骨格ににヒビが入っている。となると、これももう寿命か)
 重騎士の構造は人間に良く似ている。特基礎骨格は、人間の骨とそっくりな形をしている。肋骨のような一見不必要なものまであるくらいだ。
 とはいえ、材質やあまりに緻密で複雑な構造は、今の技術では再現することは出来ない。補修できるのは外側の装甲だけで、中身が壊れれば終わりなのである。
「よう! 何シケたツラしてんだよ」
 陽気な声が後ろからし、肩をぽんと叩かれる。
 振り返ってみると、そこには見慣れた人物がいた。
 少し太い眉。油で汚れた短めの黒髪。元気という字をそのまま内包したかのような黒い瞳。
 今は油まみれになっているが、間違いない。アークの数少ない友の一人、不動 青である。
 東方の「最強」と謳われるジャパンという国(青から言うには『日のもとの国』らしいのだが)からこんな辺ぴな弱小国家に来た奇特なメカニックマンで、今は灰色の帽子に赤と黒のツナギを着ている。
 アークと同じ20歳で、メカニックマンのムードメーカー的存在である。
「青か。何の用だ」
「だから、青って呼ぶなって言ってるだろ! 俺はブルー! ブルー=ステッドファストっつってんだろ!」
 この男、何やら自分の名前が嫌らしく、自分の名前を英語に当てはめたもので呼ばせようとする。
「……で、何の用だ」
「無視すんなよ! ったく、せっかくお前の使った重騎士の整備、手伝ってやろうと思ったのによ」
「好意はありがたく受け取っておくが……こいつはもうダメだろう」
 ひび割れた基礎骨格に指を這わせ、何の感情もない瞳で見やる。
 幾多の戦禍を共にした戦友ではなく、ただの物体を見るかのように。
「フレームの方からイカレてしまっては、直しようがない」
「んだって、フレームから!?そりゃマズったな……。親方ぁ! ちょっと来てもらえないスかぁっ!?」
 大声で叫んだ先……レイジが乗っている重騎士の足元。
 そこにいる年の頃60ほどの男が、こっちに振り向いた。
「親方じゃねぇっつってんだろ。俺のことはチーフと呼べ、チーフと! ンな東方の言葉を使うなって、何べん言ったらわかんだよ、この阿呆が!」
 背はあまり高くはないが、いかにも頑固そうな老人である。気難しそうな顔で怒りを表しながら、スパナを振り回してがに股で歩いてくる。
(……自分の名前は英語で呼ばせるくせに、何でこういうときは普通に自国の言葉を使うんだ?)
 そんなことをアークが考えている間、二人は何やら話し合っている。なぜかいきなり青がチーフに殴られたが、それもここではよくある光景である。
「アツツツ……で、実際どうするんスか?」
「決まってらぁ。こんなもんはなあ・……」
 そう言ってチーフは鉄の山にいくと、半円状の装甲版を2つと板状の装甲版を1つ、それとネジを幾つか抱えて戻ってきた。
 そして、それを重騎士の腕の前に置くと、ウエストポーチに刺さっている機械式のドライバーを引き抜く。
 そこでチーフはニヤリと笑って、
「適当にくっつけとけば大丈夫って相場が決まってんだよ!」
 いきなり持ってきた装甲版を無理矢理ネジで止め始めた。
「ちちちょっと! そんな乱暴な……大体それってどこの相場なんスか!?」
 火花と耳障りな高音が響き、それにあっけに取られていた青が慌てて止めに入る。
 が、
「うるさい!若造は黙っておれ!」
 そんなことには耳を貸さず、逆に青は振りほどかれた。
 ――――そんなこんなで、数分後。
 重騎士の関節は、まるで子供の図画工作のようなありさまになってしまった。
 なんというか、鉄の板をそのまま貼り付けただけ。修理もへったくれもない。
 その前で、なぜか高笑いするチーフと、崩れ落ちてうなだれている青がいる。
 青のいる国は手先が器用な人が多いから、ああいう乱暴なのは見てられないのだろう。重騎士の先進国でもあるし。
「……なるほど」
 アークはここに至ってようやく理解した。
 前々から不思議には思っていた。ここの重騎士は頻繁に使うとはいえ、手荒に扱う人はほとんどいない。なのに、どうしてああも継ぎ接ぎだらけなのか。
 上がこれなら、こんなになっても不思議はないだろう。
「重騎士をどうにかする前に、メカニックマンをどうにかする方が先決のようだな」
 アークは今、メカニックマンの技術の向上の必要性を痛切に感じていた。

「…………ふむ、そういうことか。なかなかに育ちつつあるようだな、お前の息子は」
 金、銀、水晶といった宝石や赤を貴重とした微細な装飾の絨毯などで無駄に飾られている空間。
 バリトンの声が、その巨大な空間に響き渡った。
 エルリナ城皇務課・神玉の間…………王が鎮座する、エルリナの頂。
 そこには今、二人の人物が向き合っていた。
 他の床より数段高くなっている玉座に座るエルリナの王、プロメテウス3世の御前にレイジが立っている。
 プロメテウス三世は長い金髪の上に王冠を抱き、レイジと年の頃は同じはずなのに微塵も老いを感じさせない。
 レイジよりも幾分若くも見えるが、体から染み出す威厳はそこらの惰弱な王などとは比べるまでもない。
「お言葉ですが、陛下。アイツは未だに若輩者。過大評価するほどではありません」
「お前こそ、過小評価しすぎではないか? 全く、相変わらず堅い奴だ。まあ、それがお前のいいところなんだがな」
 王様にしては多少フランクなその物言いに、レイジは眉一つ動かさない。
「しかし、あれからもう六年か。私を襲った暗殺者を自分の手元に置くといったときには驚いたが・・……お前のおかげで優秀な手駒が一つ増えた」
 その言葉に、ほんの少しだけ、レイジの眉が跳ね上がった。ほとんど無意識の動作であり、かなり注意深いものでなければ、それは分からなかっただろう。
 だが、すぐにプロメテウス三世はそれに気付いた。
「と、すまんな……。こういった因果な職業につくと、つい人間を損得勘定で考えてしまう」
「いえ」
 目をつぶり、軽く頭を下げるレイジ。堅苦しいその動作に、プロメテウス3世は思わず苦笑した。
(そう言えば、あの時もこう慇懃に頭を下げていたな……)
 アークは昔、暗殺の依頼を受けたある組織からこの国に派遣された暗殺者であった。
 しかし、そこでアークは王の暗殺に失敗。
 逃げようと城下町に出たところにレイジに出くわし、拿捕されたのだ。
 そして、何を思ったのかレイジはアークを仲間に入れたほうがよいと自分に進言し、頭を下げてきた。
 最初は戸惑ったが、いつもと変わらぬ礼の中にいつもと違うレイジの心を見、アークをレイジの手元に置くことを条件にそれを許可したのだ。その時の流れで、アークはその時からレイジの養子になった。
「人の交わりとは、奇異なものだな」
 遠い目で、何かを見つめる王。だが、すぐに視線を元に戻す。
 プロメテウス三世は顔を引き締め、話を切り出す。
「さて、今日は重大な話がある」
「……リッケンバーグのことですか?」
 リッケンバーグとは、エルリナの南西に位置する、エルリナよりも小さな国である。もちろん国力もエルリナに劣っており、そこの国の王も無能と評判である。
「そうだ。あの国に、どうも不穏な動きがある。まさかとは思うが、あの国ならやりかねん。そこでだ、リッケンバーグの動向を探ろうと思うのだが……」
「分かりました。こちらの方からニ、三人を用立ててリッケンバーグに向かわせます」
「話が早くて助かる。しかし……」
 とても正気とは思えない。
 戦争を始めれば真っ先に植民地になりそうな国が、戦争を始めようとしているとは。いくらあの国の王が無能でも、それぐらい考えつきそうなものだが。
 それに、まだ不審な点がある。あの弱小国家には、軍備の増強をするほどの余裕などないはずだ。大体、そんなことをする金があるなら豪遊のために使うのがあの王だ。ならば、あのちっぽけな軍勢で我らに、この国に刃向かうつもりか?
 それこそありえない考えだ。
 しかし、あちこちからそのような噂を聞く。ならば、どこからそんな戦力をひねり出す? まさか、あの国を支援している国があるとでも言うのか?
「メリットが見当たらないが、人間、必ずしも損得で動くとは限らないからな。国の繋がりがあるようなら、そっちの方も頼む」
 思考を切り上げ、プロメテウス三世はさらにレイジに命を下した。
 王から全幅の信頼を受ける重騎士課室長・レイジ=セイクリッドは、右手を左胸に当て、深々と頭を垂れた。
 もはや、細かい説明は要らない。それだけで十分であった。
「御意、全てはエルリナの神と陛下の御心のままに」

「34……35……36……」
 規則的に声と呼吸が聞こえる。
 あの後一通りの整備を終わらせたアークは、レイジの、そして自分の家に帰り、部屋に入るなり腕立て伏せを始めた。
 その動きに疲れは見えず、リズムが崩れることはない。
「41……42……43……」
 これといった趣味のないアークは、ヒマがあるといつも体を動かしていた。
 別に強くなりたいわけでも、筋肉をつけたいわけでもない。
 一人の場合、こうしている時がアークにとって一番落ち着くのである。
 6年前にレイジの養子となり、いきなり日常に引き込まれたアークにとって、自由な時間というものは何をしていいのか分からなかった。
 そして、日常に引き込まれたことによって自分のあまりに特異な過去を否定され、自分の行動規範を失ってしまったのだ。
 だから、昔もやっていた通り、アークは筋力トレーニングをしている。
 昔からやっていたことを続けることで、自分を保とうとしているのだ。それに、体を動かしていれば何も考えずに済む。
「50……」
 と、アークはいきなり腕立てをやめた。立ち上がってから、自分の部屋の窓を仏頂面で見る。
「……何をしている」
 窓には何も映っていない。だが、確かに人の気配を感じる。それも、見知った気配だ。
 物音がした。
 そして、窓の外に嫌でも覚えている人間が顔を出した。
「よ」
 長い金髪に、堀の深い顔立ち。
 かなりの美形である。が、多少軽薄な感じも見受けられる。
「また城を抜け出してきたのか」
 外から窓を開けて土足で入ってきた男は、アークの数少ない友達……いや、悪友である。もしくは腐れ縁、というべきか。
「なんだよ、邪険にして。せっかく友達が家を訪ねてきたのに、その言葉はないだろ」
「誰が友達だ。勉学から逃げ出して女を追いまわす人間を友に持った覚えはない」
「ま〜たまたそんなこと言って〜。ホントは寂しかったんだろ?ホレホレ」
「……人の背後に立って頬をつつくな」
 そのリアクションに、男はピタッと動きを止める。はぁ、とため息一つ、アークから離れるなり鼻先に指を突きつける。
「んだよ、そのリアクションは。ったく、全然面白くないねお前は。たまには笑えっつーの」
 あれで笑えというほうがどだい無理だと思うが。というか、普通は怒るだろう。
「余計なお世話だ、マルト=プロメテウス。用がないのならさっさと出て行け」
「あらら、冷たいこって。そんなんじゃ女にもてないぜ?」
「興味が無い」
 本心で深い意味があるわけではなかったが、マルトのその言葉に驚愕し、怯え始めた。
「お、お前、もしかして男の方が……。ハッ! 俺の貞操が危ない!? ……って、おりょ?」
 部屋のクローゼットの前で、アークが何かを探している。マルトがそれに気付いた時……
 マルトの顔に風が走った。
 風の悲鳴が耳に響き、首元数センチのところに剣先が添えられていた。騎士に配給されるブロードソードが、握られたアークの手から一直線にマルトへと伸びている。
「あ、あの〜……これは一体どういう意味で?」
 やっと状況を理解したマルトのこめかみに、冷たい汗が伝う。
「そのままの意味だ」
 冷静な、冷徹な、いつもと変わらないアークの声。いや、少しばかりドスがきいているような気がする。
「なるほど。つまり、これはアークなりの不器用な愛の告白というわけだな。悪いけど、俺男とはッテェっ! おおお前、仮にもこの国の王子に剣刺すか!?」
「仮にもこの国の王子なら下らん事は言うな。さっさと帰って机にかじりついていろ」
「やだ」
「…………」
 アークは観念したのか、首筋の剣の切っ先を地面に向ける。
「お?何だ、やっとお前にも心の友の真摯な思いが伝わったか」
 自分の行動を棚に上げて、よくもまあそんなことを言えるものだ。とは思ったものの、あえてアークは口に出さず、違う言葉を口にする。
「脅す必要がなくなった。俺より彼女に任せた方がいい」
「ハ?」
 その時――
 ドアノブを回す音が聞こえた。
 ついで、アークの部屋ドアが開く。
 そこから現れたのは…………
 美しい、女性だった。
 ウェーブのかかった長い金髪。線のごとくいつも細められたたれ目。口元も柔らかく微笑んでいる。その体を包むのは、白のワンピースに同じく白いエプロンだ。料理中だったのだろう。右手にはお玉を握っている。
 柔らかい、太陽のような雰囲気の女性。落ち着いていて、全てを包み込むような優しさが、外面から見て取れる。
 と、マルトをその女性を認めて、その口を軽い驚きに形を変える。だが、目は線のように細いままである。
「あらあら。いつからいらっしゃったの? マルトさん」
「マ〜リアさ〜ん! ひっさしぶりじゃないですかぁ!それにしてもなんというか、こう……」
 マルトは一点、マリアのたわわに実った胸を見つめながら、
「また一段と綺麗になりましたね」
「……どこを見て喋っている」
 そんなアークのツッコミを、マルトは完璧に無視する。
「あらあらあら。もう忘れちゃったんですか? 一昨日あったばかりですよ」
 そんなやり取りを意に介さず、笑顔を崩さず、相変わらずのマイペースな言葉が続く。
「そんなことどうでもいいじゃないですか。だから、今宵も俺と、素晴らしく爛れた愛のディメンション作りにっ!」
「ところでマルトさん、どうしてここにいらっしゃるんですか?」
「ハ?」
 真剣に口説こうとした(それにしては偉く稚拙な表現だったが)ところに逆に質問で返され、マルトは言葉が詰まる。
 一つ、二つ。次第に汗の量が増えていく。もちろん、運動の汗ではない。ひどく冷たい汗だ。
「どうしてここにいらっしゃるんですか?」
 対照的に、マリアはずっと笑顔である。お玉を胸の前で揺らしながら、再度同じ質問を投げかける。
「そそ、それは、その、ですね………そう! 美しいあなたの尊顔を拝見させてもらおうかと――――」
「また勉学から逃げ出したみたいです。全く、第一王位継承者とは思えませんが」
「あ、アーク! テメ、余計なこと言ってんじゃねえよ!」
「あらあら、それはいけませんね〜」
「ち、違うんですよこれは! こいつの紫色の脳みそが勝手に嘘っぱちを」
「ダメですよマルトさん。ちゃんと勉強しないといい大人になれませんよ? めっ」
 いい年の青年がああいう怒り方をされるとつらいだろうな、などと思いながら、無言でアークは二人のやり取りを見ている。
「マルトさん。ちゃんと勉強しましょうね」
「そ、そんなぁ!!マリアさん、勘弁して――」
 情けない顔をしたマルトの言葉はそこで途切れた。
 言い終わる前に、マリアは右手に持っていたお玉を柔らかく振り、マルトの前に直径30センチほどの光の粒子の輪を作る。
 それはマルトの頭上へと移動し、少し広がる。
「マ、マリアさ〜〜〜〜〜〜ん!!」
 懇願するように右手をマリアへと伸ばすマルト。その手がマリアに触れそうになった時、
「ファーゼ・トーシュフ(位相交換)」
 その言葉とともに、マルトの姿がかき消えた。それも、真上に引っ張られるように。
 キュポン、と小気味のいい音を立てて、マルトは輪の中に吸い込まれた。それも、断末魔を残す間もなく。
「はい、行ってらっしゃ〜い」
「……………………」
 笑顔で何もない、光の輪さえも消えた空間に、マリアは変わらない柔和な笑顔と軽く振る手をもって、別れの挨拶とする。
 そんなマリアを後ろから見て、アークは心の底で思った。
 …………この人に勝てる人は存在しないのかもしれん………………。

 しばらく手を振っていたマリアだったが、ウェーブのかかった金髪を揺らしながらくるっと回り、アークに向き直る。一息遅れて、膨らんだスカートがゆっくりと閉じていく。
「あらあら、そう言えばお帰りなさいの挨拶がまだでしたね。ハイ、お帰りなさい」
 ペこり、と頭を下げる。その動作は動きは多少緩慢なものの、礼儀という点では満点であった。
「ただ今帰りました」
 こちらは礼もせず、いつもの無愛想な口調で喋る。
 元々無口な性質のため、本当はこの挨拶というのが好きにはなれなかった。
 しかし、この家の人間と縁を持った以上はそうはいかない。それが本当のものではないにしろ、家族という絆で結ばれているのならなおさらだ。
 だが、少しだけマリアの表情が曇る。が、すぐに下がった眉を元に戻し、いつもの笑顔に戻る。
「はい、よくできました。でも…………もうちょっとくだけた挨拶でもいいんですよ?それじゃあ私は料理の途中だから、ちょっと見てきますね」
「了解……いえ、はい」
 ここに暮らすようになってから6年も経つが、未だに昔の癖が出てしまう。軍隊に所属しているため、この応対の仕方だけは完全に抜けきらないのだ。
 とはいっても、他のことも完全に抜けきったとはいえないが。
「じゃあ、料理ができるまでゆっくりしていてくださいね。今日はアークの好きなドリアですよ」
 だが、アークのそっけない応対にも、マリアは笑顔で返してくれる。
 それだけ告げるとドアを開け、マリアは部屋の外へ出て行った。その後、パタパタと軽い音が階下へと下がっていく。
(アーク、か……)
 マリアは、基本的に人を『さん付け』で呼ぶ。それをしないのは、この家の主でもありマリアの夫でもあるレイジ=セイクリッドと…………
 自分のみ、である。
 そこから鑑みるに、自分はマリアにとって身近な家族と思われているようだが…………
「家族、か」
 その言葉は、自分にとってどんな意味があるのか分からない。分からないが――――
「…………」
 アークは近くの壁に立てかけていた剣の柄を右手で握り、また素振りを始めた。

 その後、アークは帰ってきたレイジとマリアと一緒に夕食を済ませ、屋根の上にいた。
 ニ階の屋根裏は物置になっていて、そこには窓がついている。そこから、屋根の上に出ることができるのだ。
 静寂の中、ずっと上を見つづけるアーク。
 アークは夜空を眺めていた。
 これも、昔からの習慣である。
 夜寝る前には天気を確認し、それに基づいて明日の行動を組み立て、いつでも行動できるように浅い仮眠に入る。
 そう、自分のいた組織では叩き込まれた。それも、物心ついた時からだ。
 しかし、最近はそうではなかった。
 何故かは分からないが、星を見ていると心が落ち着くのだ。それに、夜風が心地よく、一日の疲れを優しく取り除いてくれる。
 と、背後から木が軋む音がした。
 振り向かなくとも誰かは分かる。だから、アークは振り向かなかった。
 木の軋みを含む足音が、だんだん自分に近づいてくる。
 自分の横まで足音がくると、今度は地面に腰を下ろす軽い音が聞こえた。
 二人はお互いを見ることはなく、夜空を見つづける。
 …………ゆっくりと、穏やかな時が流れる。
 数分だったか、数十秒だったかは分からない。その静寂は、横の人間にかけられた声によって破られた。
「今日、陛下より隣国のリッケンバーグへ間者を出すよう、御命を承った」
 アークは片方の眉を跳ね上げ、横目で隣の男を見る。
「リッケンバーグへ…………ならば、いつか大きな戦が始まる、と?」
「まだ分からんがな。しかし、可能性がなければ間者など送らんだろう?」
 アークはその問いに答えず、黙ったままだ。しかし、その問いに答えないこと自体が肯定の意を示す。
「今日もそうだが、最近のお前はどうも気が抜けておるように見える。昔のお前ならどうだったか知らんが、今のまま戦場に出れば」
 そこで言葉を区切り、次の一言を強調する。
「お前は死ぬぞ」
 唐突に、強い風と風音が発生した。
 強い風が吹き、アークの髪をなびかせる。
 その風にはかすかな硝煙と血の、人同士が闘う時に発する独特の匂いが混じっていたような気がして、アークは顔をしかめた。
「何を考えているか知らんが、気を引き締めろ」
 それだけ言って、隣の男は腰を上げる。
「了解しました、レイジ室長」
 前を向いたまま、この場から去ろうとするレイジに答える。
 レイジは足を止め、物置に繋がる窓の前で振り向く。
「バカモン。家の中では父さんと呼べと言っておるだろうが」
 その後、窓が開く音が聞こえ、
 パタン。
 窓が閉められた。
「…………了解」
 既に誰もいない窓の方へ肩越しに目をやり、無愛想に呟く。そして、もうしばらく星を見ようと思って上を見上げたその時、
「――――!」
 アークは軽い驚きとともに、再度顔をしかめた。
「気に入らんな。嫌な雲行きだ……」
 さっきまで眺めていた空の端には、黒く、鉛のように重い雲が見えていた。


 雨が降る。
 一つ、二つと地面に黒い染みを作っていき、やがてそれは全てを覆い尽くす。
 恋人同士の語らいも、鍛冶職人が鉄に気持ちを込める音も、人が営む際に生じる全ての音が掻き消えていく。
 だがそれは、
「我らにとっては都合のいいことだ」
 何かが落ちる、重く、湿った音。
 それが路地裏に響いた。
 次いで、命が流れる匂いが辺りに広がる。
 しかし、それも一瞬のこと。
 数える間もなく、その匂いは雨に流される。
 そして、男達が持つ剣についた血糊さえも、雨は優しく拭い取る。
 路地裏には、5人の男と、そして…………
 4つの人間だったものが転がっていた。
 「それ」は動かず、体の所々が欠けており、肌の色もくすんでいる。「それら」は平民の服を着込んでいたが、服の隙間から覗く筋肉は締まっていてそれでいてしなやかで、闘う者独特の筋肉のつき方をしている。
「だが、死ねば全ては関係無い。腕をもがれ、頭と胴体が離れようとも何も吐かなかった事は賞賛に値する。だがな……」
 5人の中の、先頭の男は独り言のように呟く。血のような紅と深淵のような黒との組み合わせの鎧は、リッケンバーグの正規兵のものだ。
 兜から唯一のぞく口が、ゆっくりと歪められる。
「何も吐かなかった事こそが命取りだな。お前らの苦労は徒労に終わったわけだ。クク、ハハハ、ハハハハハハハハ!」
 死した相手を冒涜する嘲笑。勝者だけができる、しかし決してしてはいけない行動。行儀作法を学ばなければならない騎士にとってはなおさらだ。
 長く、長く嘲笑は尾を引く。
 その間、同じ甲冑をつけた後ろの騎士達は微動だにしない。
 ただ、立ち尽くすのみである。
 先頭の男はひとしきり嘲ったあと、歪めた笑みを口元に貼り付けながら、4つの死体に剣を向ける。
「クク、お前達はまだ役に立ってもらうぞ。そして、死後の安寧はお前達には決して与えられない。なぜなら――――」
 そこで男は言葉を区切り、死した男たちの耳に刻み込むように、ゆっくりと言葉を放つ。
「お前達は自分の手で祖国を…………エルリナを滅ぼすことになるのだからな。喜べ。下賎な国を滅ぼす手伝いができるのだからな。クク、ハッハハハハハハハ!!」
 男は大きく両手を広げ、空を見ながら哄笑した。

 雨が降る。その雨はだんだん強くなり、黒衣の騎士とその嘲笑を包み込むように隠していった。そう、まるで守るように、しかし、醜い欲望を隠すように………………


 連日に渡って、雨は降り続いていた。
 レイジと話した日の深夜から雨は降り、今こうして重騎士課の窓に幾千もの楕円を描いている。
 今重騎士課にはアーク以外誰もいない。アーク以外は巡回で出払っており、ここの主であるレイジは何やら王と話し合っている。
 アークは壁に手をそっと触れる。木と切り出した石でできた壁はひんやりと冷たい。
(そういえば、レイジ室長と初めて会った時もこんな雨だったか……)
 あの日、俺はエルリナ国王暗殺に失敗し、レイジに捕えられ――――
 そして、この国の兵士となり、セイクリッド家の養子となった。
(だが違う。あの時は、こんな纏わりつくような気分の悪い空気ではなかった)
 壁から手を離し、アークは窓から外を見る。
 窓から見る景色は、雨と地面に叩きつけられた時にできる水飛沫で霞んでいた。
 アークは考えていた。
(この雨……)
 レイジから聞いた、リッケンバーグの動向。戦争の匂いを感じさせるそれが、本当のものだとしたら?
(相手に儀礼やしきたりは通用しない。そして、全てを掻き消すこの天候)
 結論は分かっているものの、その結論にどうしても眉根が寄る。
「これ以上伸ばせば、エルリナに先に宣戦布告をされるだろう。軍備の増強も日がたてば露見するはずだ。ならば……」
 険しい表情のまま、アークは中空の一点を見つめる。まるで、こちらに進軍してくる敵を見ているかのように。
「今日がターニングポイントになる。相手が滅ぶか、こちらが滅ぶかの――――」
 その時、
「!!」
 大きな、空気を震わせる爆発音とともに、全ての始まりが光と煙を持ちて、窓の外に姿を現した。

                     
 時間は少しさかのぼり、エルリナ城皇務課の神玉の間。
「…………遅いな」
 プロメテウス三世は、玉座に深く腰掛けながら眉をひそめていた。
「部下の方には逐一報告をさせるように言ってあります。しかし、それが昨日はありませんでした。そして今日も」
「嫌な予感がするな。これは、備えをしたほうがいいかもしれん」
 レイジは無言で頷いた。この国の兵力を集めてどれほど対抗できるかは分からないが、食い止めなければ被害は大きくなる。
 これからどうするかを細部に渡って考えようとしたその時。
「こ、国王っ!!」
 大きな扉が乱暴に開けられ、息も絶え絶えな兵士が一人、鎧を鳴らしながら駆け寄ってくる。
「貴様、ここは陛下の御前であるぞ!礼をわきまえ……」
「今は報告が先だ。下がれ」
 王の脇を固める親衛隊が無礼な兵士を叱咤するが、王自身に止められ、言葉を止めて姿勢を正す。
 静けさを取り戻し、幾分か体が落ち着いた兵士に、上から低音が降りかかる。
「役目を果たせ。告げるがよい」
「ハ、ハイ!先ほど、リッケンバーグからこのようなものが届き…………」
 よほど重大な内容なのだろう。声を震わせながら階段を上がり、高みにいる王に羊皮紙の手紙を渡す。
「…………!!」
 その内容に驚きを隠せない王に、そして周りの人間に、駆けつけてきた兵士は羊皮紙の内容を音で伝える。
「リッケンバーグは我が国の放った間者を殺害。それをもってリッケンバーグはエルリナに敵対意思があるとみなし、エルリナに宣戦を布告しました!!」
 言葉が終わり、皆が目を見開いた瞬間、
 振動と音が新玉の間にいる全員に響いた。
「クッ、遅かったか……!!」
 立ち上がり、王は羊皮紙を右手で握りつぶした。
 暴君の国への憤りと、それを予測できなかった自分への不甲斐なさを込めて……。

 アークは走る。
 階段を飛び降り、赤絨毯を蹴りつけ、十字路を右折し、ひたすら走る。
 眼前に見える鉄の扉を通り、外に出てもまた走る。
「重騎士を6機も駆り出してくるとはな……手持ちの戦力でやれるのか!?」
 アークは見た。
 窓の外、爆炎の後ろにあったものは――――
 6人の巨人。
 恐らく他の騎士は住民への避難勧告や、敵の歩兵部隊の応対をしていることだろう。
「ならば、俺は俺の仕事をするのみ……!」
 だからアークは向かう。
 唯一重騎士に対抗できる、重騎士の住まう格納庫に。

「陛下はお逃げください! ここは私達が食い止めます!」
 レイジは怒りに身を震わせる王に告げる。
「ならん! 王には全てを守る義務がある。王は王の務めを果たさねばならん!!」
「陛下には能力がある。王ほどの人材を欠けば、この国は衰退に一歩を辿ります!」
「しかし……!」
 引かない王に、レイジは一瞬で詰め寄る。
「陛下、ご無礼を」
「なっ!?」
 瞬間、プロテウス3世の腹部を、強烈な衝撃が貫いた。
「レ、レイ……」
 最後まで口にすることが出来ず、プロメテウス三世はそのまま崩れ落ちた。
 礼儀を重んじるレイジの神をも恐れぬ行為に、周りがざわめき、困惑する。
「静まれ!!」
 レイジが吼え、周りの人間がピタリと止まる。響くのは、城自体が震える音だけだ。
「親衛隊は王を連れて城を出よ! 闘えるものは剣を取り、闘えないものは城内の非戦闘員を連れて脱出せよ!! わしは遅れるが、それまでもたせろ!」
 即座に指示を出し、レイジは正面の大きな扉に走る。
「遅れるって……室長は、室長はどうするつもりなんですか!?」
 気絶した王を運び出そうとする親衛隊を背後に、伝令の兵士がレイジに問う。
 振り向かず、レイジは肩越しにその問いに答えた。
「アシュラを取りに行く」

 格納庫に入ったアークは、片ヒザをついて鎮座している「デクの坊」へと走り、ヒザを経由して制御室の中へと入る。
 と、開いた制御室の前、青が走りこんできた。
「整備は万全だ! 武器は実戦用の壁にかかってる奴を使ってくれ!!」
 壁にかかっているのは全長5メートルほどの両刃の剣。刀身部分は厚く、刃には鈍い光が備わっている。
「了解」
 その問いに多少焦りながら答え、右手で剣を取り外し、左手でその横に置いてある盾を装備する。
 立ち上がり、横の制御版で胸部装甲を閉じる。
 蒸気を吹く音と、鉄が軋む音。
 そして、制御室の胸部装甲が完全に固着する。
 珍しく誤動作を起こさなかったが、アークにはそれを感じるほどの余裕はない。
(重騎士が一つ空いていたが……レイジ室長は何をやっている?)
 アークの前、角のついた重騎士は誰も乗らず、眠ったままである。
 強大な力を持つ重騎士が一体でも欲しいこの時に、それが使えないのは痛い。
 さらに、他のものは巡回に出払っていたため、ここに戻ってくるには時間がかかる。
(やれるのか?いや、やるしかあるまい……!)
「整備員は下がれ! アーク・セイクリッド、出るぞ!」
 目に命の光が灯り、重騎士が雄叫びを上げる。
 それと同時、
 耳をつんざく破壊の音。
「っ!?」
 大きな破壊音とともに、上から何かが落ちてきた。
 屋根を破壊し、落ちてきたものは――
 黒塗りの重騎士であった。
 手に持つのは自分と同じほどの身の丈を持つ、肉厚の片刃のソード。いや、むしろ鉈と言ったほうが近いかもしれない。
 しかし、流線型のボディには少々不釣合いな感じがする。
(クッ、ここで戦闘は……)
 アークは心の中で舌打ちしつつ、スリットから辺りの風景を覗く。そして、そこに見えたものは、木や鉄の破片と、そして、
 かつて人だった、人の原形をとどめた者達だ。
 赤黒いシミが広がり、頭蓋がカチ割れ、脳漿を撒き散らし……。生きているものなど一つもない。
 その中に、見覚えのあるものが二つ、あった。
(む?あれは…………。何だ?何かが……)
 腕や足のない老人の小さな体と、頭のない青年の体。その体の横には、この国では珍しい黒髪が落ちている。何かを砕かれ、血と肉片を撒き散らした、何かが引っかかる死体たち。

 チーフに、青。

 その言葉が頭に思い浮かんだ時、アークに久しく忘れていた感情が湧きあがった。
 それは憤怒。身を焼き尽くすほどの怒り。
 体中の毛が逆立ち、大きく目を見開いたアークは、
「ウオオオオオオオオオッッッ!!!」
 獣の咆哮とともに、デクの坊とともに敵に突っ込んだ。

「クク、楽しいなぁ。この人を粉々にする感触。そして、どの芸術に勝るとも劣らないバラバラの死体。全く、天職としかいいようが無いな」
 愉悦の表情を隠すこともせず、およそ騎士とは思えない愚言を吐く男。エルリナの間者を惨殺したリッケンバーグの大隊長である。
「それに、このセクメト……細身で流線的なのは俺の趣味じゃないが、なかなかどうしてパワーがある。何かは知らんが、あの女に感謝しなければな。こんな素晴らしい玩具は他にはない。……なあ、お前もそう思うだろ?」
 女性のような漆黒のフォルムは、滑らかな動きで稼動中の重騎士に向き直る。埃の舞う中、怒りを声に変えながら突進してくる重騎士へと。
「さて、どれほど楽しませてくれる?」
 振り下ろされるソードを目前に、口の箸を吊り上げる、歪んだ笑みを見せる。そして、
「フッ」
 お互いのエモノが眼前でぶつかり合い、赤い火花と甲高い音を上げた。
「貴様……ただで帰れると思うなよ……!」
 湧き上がる怒りを操縦に込め、相手の制御室を睨む。
 軋みを上げながら、その場で微動だにしない二つの重騎士。
 いや、違う。相手の「セクメト」のほうが押している。
 自分が片手で相手は両手で持っている、ということもあるが、元からのパワーが違う。
「そらそら、どうした!もっと俺を楽しませろ!」
 だんだんとアークは押し込まれていく。
「楽しませなどはしない。楽しむ間もなく消えてもらう!」
 だが、アークはそれを逆手にとった。
 ソードを寝かせながら手首を動かすことで相手の剣をいなし、よろめいた所に盾の先端を叩き込む。
 金属同士がぶつかる、鈍い音。
 音の後、完全にバランスを崩したセクメトは、大音響とともに格納庫の外へと吹き飛ばされる。
 エルリナ騎士団の盾は攻撃にも使えるように、先端の角度が鋭くなっている。剣ほどの破壊力はないが、これを喰らえばただでは済むまい。
 だが、相手は起き上がってきた。多少軋みを含んだ動きだが、戦闘に支障はなさなそうだ。
「クカカッ。やるなお前。……だが俺はまだ生きている!そう、もっと、もっとだ!こんなんじゃまだまだ足りない!足りないんだよおぉぉぉぉぉぉっ!」
 セクメトが唸りを上げ、滑るような低姿勢で走ってくる。
 だが、その驚異的なスピードを前にしても、アークは冷静そのものだ。体は怒りで満たされているが、頭の芯は冷めている。そんな不思議な感覚が、今のアークを支配していた。
(奴自身はたいしたことはない。重騎士のパワーは驚異的だが、あれぐらいでフレームがイかれるほどだ……。見た目どおり、装甲は薄い。……ならば!)
 デクの坊は腰を落とし、左手で持ったソードを右腰の横に持っていく。そして――――
 左手を振り上げ、セクメトに向かって盾を投げた。
「なめるなっ!」
 高速で迫る、視界を封じた盾を、セクメトは剣を振り上げて易々と切り裂く。二つの盾は斜めに分かたれ――――――
 目の前にはアークがいた。
「なっ!?」
 初めて男の顔から恐怖が見えた。だが、その恐怖も長続きしなかった。
「お前の望みどおりだ。自分の体を芸術とやらにでもするんだな!」
 腰ダメに構えた剣が、神速で相手に牙を向き、
 悲鳴と火花が迸ったと思った瞬間、セクメトの胴体は空を飛んだ。
 そして、土煙と鈍い音と、一瞬の断末魔を伴って、セクメトの上半身は地面に落ちた。
(まさか、青に教わったことが役に立つとはな……)
 東方に伝わる、神速の必殺剣。『イアイ』と呼ばれるその武術を、昔青に教わったことがある。相手の油断を誘い、さらに相手を超えるほどの一撃を決めるには、この方法しか思いつかなかった。
「感謝したいが…………もう、全てが遅かった」
 青の死体を見て、不意に知らない感情が沸き起こる。悲しみという、昔のアークが決して持ってはいけなかった感情が。
 皮肉にも、一度は捨てた戦場でそれを体験するとは……。
「スマンが、弔いは後だ。今はやるべきことがある。その後には、必ず……」
 死で埋め尽くされた格納庫を、アークは後にした。そう、まだ敵は残っているのだ。だから、だからこそ……
「下らん話だが、奴らには相応のツケを払ってもらう……!」
 アークは自分の怒りを静めるため、悲鳴と爆音の渦中へと飛び込んでいった。

 悲鳴。卑鳴。疲鳴。
 足音。亜し音。悪し音。
 全ての雑音がここには凝縮されている。
「あっちには重騎士課の人間がいる! そこから誘導するから、市民は速やかに避難を――――」
 懸命に国民を誘導するが、恐怖に染まった人間は他人の言葉に耳を貸すほどの余裕がない。我先にと逃げ惑い、誘導しようとする騎士は人ごみに揉まれる。
「ウ、クソッ……こんなときに、なんだって重騎士は来ないんだよっ!」
 城の方を見上げ、必死の形相で騎士は毒づく。
 エルリナの守護神、頼みの綱の重騎士はいまだに現れない。漆黒の重騎士は先ほどからずっと破壊活動を繰り広げているというのに……。
 と、そこで甲高く短い悲鳴が上がった。
「子供……!?いけない!」
 この人ごみの中だ、転べばタダじゃすまない。今のパニックを起こしている大人は、足元の少年に気を配れるはずもない。
 騎士は急いで少年を拾い上げ、人の流れの外に出る。
「うっ、ひく……こ、こわいよぅ……」
 年の頃5・6歳だろうか?少々たどたどしい言葉で涙ながらに抱きついてくる。
「そっか、よく頑張ったな。もう大丈夫だ。俺がついてる」
 優しい笑みを浮かべ、なだめるように騎士は優しく少年の背中をさする。
 その彼方、時々鋭い剣撃音が響く。
(歩兵もいるのか……。サムソンやエルネ達が食い止めてくれているんだろうけど、ここも危ない。しかし、どこに逃げれば……)
 同僚の安否を気遣いながらも、現状を打破できない自分に焦り始める。と、その時、不意に自分の頭上に影が落ちた。
「!?」
 見上げた顔が驚愕に染まる。何故なら、敵の重騎士がこちらを見ていたからだ。そして、右手に持った蛮刀を振り上ている。
 刀が鈍い光を照り返し、騎士と少年に注がれる。
 そして、その重騎士の顔。表情などあるはずも無いのに、
 心なしか、歪んだ笑いを貼り付けているように見えた。
 そして、重騎士が動いた。剣を振り下ろす際の予備動作である。
「くっ――――!」
 もはや万事休す。少年を守るように、騎士はきつく少年を抱きしめる。
 それをあざ笑うかのように、漆黒の重騎士は蛮刀を振り下ろし――――
 何かの悲鳴のような、醜い派手な音がした。
「…………?」
(何だ?痛みも衝撃も感じない。俺は、痛みを感じる間もなく殺されたのか……?)
 しかし、ここには確かに小さな温もりが感じ取れる。
(この手の温もりは、子供を抱いている感触は本物だ。ということは――――)
 恐怖で閉じていた目を開き、状況を確認する。
 と、さっきまでとは違う影の形がある。その頭上、自分たちに影を落とすものは……
「あれは、もしかして!」
 真っ二つに断ち割られた重騎士の元に、4本腕の重騎士が立っている。他の重騎士とは違い、かなりの軽装で、フォルムからアジア方面の文化が感じられる。
 四本の腕にそれぞれ剣、斧、槍、盾を持ち、たてがみを揺らすその姿は、まさしく鬼神であった。
「レイジ室長!!」
 破顔する部下に向かって、重騎士「アシュラ」は軽く右腕を一本上げた。

(アークは見えんか。あいつはあいつなりに行動しているんだろうが……)
 そんなことを考える前に、今は敵を殲滅する方が先だ。
 今目の前にいるのは重騎士が3機。報告とは1機少ないが……
「あ、あの重騎士は!?」
 レイジを見て、にわかに敵が騒がしくなる。
「あれは……クリムゾン・ゲイル!」
「あ、あの前大戦の撃墜王が、何故こんなところに!」
 敵操者の焦りや恐怖が機体の動きに現れる。一歩、また一歩、後ずさり始める。
 過去に起きた、世界中が阿鼻叫喚の渦に巻き込まれた「覇の役」という名の戦争。
 その戦争で星の数ほどの命を屠った悪魔が目の前にいるのだ。動揺するなというほうがどどだい無理な話である。
 だが、そこで重騎士のうちの1機が世界でもっとも愚かしい発言をした。
「待て、こっちは3機、あっちは1機。いくらあのクリムゾンゲイルと言えど、3機相手には持つまい!それに、あいつを倒せば……」
 その言葉に引きずられるように、他の騎士も「愚」という色に染まっていく。
「そ、そうか! あいつを倒せば、王から富と名誉が・・・・」
「あんな姿こそすれど、見掛け倒しに過ぎん! どうせ、外装だけ似せて作ったハリボテだろうよ!」
「そうだ、そうに違いない! あの悪魔がこのような場所にいるものか!!」
 一つの言葉が広まり、次々と戦闘態勢に移行する重騎士。それが、自分の死期を早める行為だとは知らずに。
「馬鹿者が……!狼に劣る愚者ども、冥府で己が選択を悔いるがいい!!」
 命を粗末にした人間の末路を刻み込むべく、苛立ちとともにレイジは3機の重騎士に飛び込んでいった。

 戦場から幾分離れた場所、そこにアークはいた。
 格納庫からこっち、ずっと走りつづけている。軍事的には弱いものの、エルリナは結構広いのだ。
 上下のシェイクをリズミカルに繰り返すコクピットは、並の人間なら耐えれるはずもない。だが、アークは意にも解さずそれをやってのけている。実は、重騎士で長時間走るというのは結構高度な技術なのだ。
「…………」
 しかし、それでも戦場には遠く感じられる。こういうとき、レイジ室長のようにマナを使用した高速移動ができればいいのだが……。
 と、急に目の前に少女が現れた。
「!!」
 足を広げて、急制動をかける。足元の破片が乱舞し、少し滑ってからやっと止まる。
 ちょうど、コクピットから前方1メートルのところに少女はいた。ということは……
(浮いてる? なんだ……?)
 そう、少女は浮いているのである。少し広がり気味の髪を肩ほどで切られており、白地に禍々しい模様が描かれている、見たこともない鎧を着込んでいる少女が。
 そして、背中には少女が振るうには大きすぎる、刀身2メートルの幅厚の大剣。しかし、それよりも目を引くのは、
「この瞳……」
 少女はずっとこっちを見ているが、その黒い瞳には光を感じられない。およそ人間のものとは思えない、まるで作り物のような瞳。
 その大きな瞳と鋭い瞳が交錯する。
 刹那。
「!?」
 その少女の後ろに、黒い重騎士が現れた。それも、何の前触れもなく。、あたかも前からそこにあったかのように。
 そして、胸の装甲が金属音を放ち、開く。そこから、湿った音を出しながら無数の触手が少女の腕を、足を、体を絡めとり、制御室に引き込んでゆく。
 触手に絡めとられた少女は、オブジェのように腰から上を出している。しかし、それも胸の装甲が閉じたため、見えなくなる。
 それと同時、
 ギン!
 目に邪悪な赤光が灯り、天に向かって絶望の咆哮を上げた。
 それはまるで、神の代弁。あるいは邪悪なレクイエム。
 それが天に届いたかのように、雨雲が割れ、天に巨大な輪と文字で構成された、多重複合魔方陣が現れた。
「これは……!?」
 一度だけ耳にしたことがある。『神』のみが使える、人間には到底真似できない強力な魔法。聞いたものとは違うが、この恐るべきマナの量は、まさしく神の如き……!
 エルリナ城を城下町ごと覆い尽くすその魔方陣から、天から注ぐ光とともに多数の重騎士が落ちてきた。その数は数え切れず、どんどん数を増やしていく。
「なんだと!? クッ!」
 無数の重騎士が降り注ぐその光景に、アークは一つの行動で示した。
 未だ空に叫びを穿つ黒い重騎士に、アークは剣を振り上げ、間合いを詰める。
(早くこいつを抑えなければ、被害はさらに大きくなる!) 
 遂に、自分の攻撃範囲まで到達した。何の迷いもなく、アークは剣を振り下ろし――――
 制御室の近くで爆発が起きた。
「グゥッ!?」
 制御室に凄まじい衝撃が伝わり、アークは顔面を制御板に打ち付ける。
 額から血を流しながら、アークは混乱している頭を整理する。そして、血のついた制御板に目を這わすと、
「チッ、こんなときに!」
 制御板には、幾つか赤い文字が浮かび上がっている。
 危険を示すシグナルが、腕がないことを告げていた。
 恐らく、さっきの限界を超えた神速の斬撃に故障した腕が耐え切れなかったのだろう。
「だが、まだだ! まだいける!!」
 よろける機体を、踏ん張ることで無理矢理立たせる。同時に、左手で拳を握り、それを黒い重騎士に向ける。
「いけぇっ!」
 ただの拳打で敵を倒せるとは思わないが、これだけの質量だ。術の中断ぐらいは……!
 その考えは、並の重騎士ならあるいは正しかったかもしれない。しかし、今目の前に居る重騎士に対しては、あまりに甘すぎた。
 鋼鉄がぶつかり、鈍い鉄の音が響く。
 が、その黒い重騎士は倒れることもなく、微動だにすらしなかった。
「なんだと!?」
 そして、鎮魂歌は終幕を迎えた。
 雄叫びが消え、魔方陣が完璧に完成してしまったのだ。
 次々と降り注ぐ破壊の権化を背景に、天を見上げていた重騎士がこちらを向く。
 その目に見えるは、冥界の如き暗い情念。
 それを見たアークの背筋に、氷を当てられたかのような寒気が走る。
 そして、その一瞬が致命傷となった。
 黒い重騎士が、どこからか取り出したロングソードを振り上げる。
「クッ――」
 アークはそれをかわそうとした。だが、動くにはあと一歩、遅かった。
 さっきのアークとは比べ物にならない速さの剣。それが装甲に触れ、切り裂き、砕き、
「!!」
 鉄がちぎれる、甲高い音。
 『デクの坊』はコクピットのある胸部を袈裟懸けに切られ、上半身と下半身が離れ離れになった。

「!? ……アーク?」
 黒と赤の重騎士を切り伏せ、さらに56機もの敵を切り伏せ、現在新たに現れた重騎士と戦闘を行っていたレイジは、不意にザラっとした感覚を感じた。
(まさか……アーク!)
 何か、非常に嫌な予感がする。今すぐアークのとこに行かなければならないような気がする。
 しかし、周りはそれを許さない。
 次々に空から降りてくる重騎士。さすがのレイジも、これだけの数は捌ききれない。
「これ以上は……クッ!」
 盾は砕け、剣は折れ、今残るのは斧と槍だけである。しかし、それも限界に近い。
 そして、刻一刻と数を増やす重騎士。
 大変な危機だというのは、目に見えて明らかえある。
(これはもはや人間の戦争ではない。……まさか、『神が』動いたとでもいうのか!?)
 そこで、レイジの思考は途切れた。
 いくつもの気配を感じ取り、上を見上げる。
 そこに見えたのは、8機の重騎士。
 それが、落ちながらそれぞれの武器をこちらに振るっていた。
 慌てて槍と斧を交差させてガードする。
 が、既に疲弊した武器に、幾つもの斬撃は耐えられなかった。
 大きな音を立てて武器は散り、その余力で武器を持っていた腕までもが破壊される。
「ぬぅっ!」
 大音響と、激しい衝撃。奥歯をかみ締めるレイジ。そしてそれを取り囲む8機の重騎士。
「むぅ……これまでか…………!」
 その言葉を契機に、8機の重騎士がいっせいにレイジへと飛びかかった。

 遠く、丘の上の大きな木の下。そこに集まるのは、エルリナの国民。
 煙を上げ、爆発の途切れることのないエルリナ。漂う悲壮感はただただ増すばかりである。
「燃える……わが国が、大切なものが燃え盛る紅蓮に巻き込まれてゆく…………」
 歯がゆい。自分は、何故こうも無力なのか。
 プロメテウス三世は、八重歯を軋ませ、その光景を心に刻み付ける。そうすることで、何も守れなかった自分を責めるかのように。
「友を失い、国民を失い、領土を失い、国までも失う。…………王として、いや、一人の男として、これほど屈辱的なことはない!」
 握り締める拳から、鮮血が流れ落ちる。だが、痛みに顔をしかめることは出来ない。
 国民は、心に、体に、これ以上の痛みを感じているのだから。
「親父っ!」
 その思考を中断させる声は、我が息子、マルト=プロメテウスのものである。息を切らせ、金色に輝く長髪を揺らしながらこちらに駆け寄ってくる。
「マルト……!? 生きていたのか?」
 その事実に心の中では喜んだものの、プロメテウス三世は決して顔には出さなかった。自分が喜ぶことは、それこそ虫のいい話だから。
 だが、父親のそんな冷たい態度を無視するように、マルトは王に吠え掛かる。
「ンなことはどうだっていいんだよ! それより、アークはどうした!? アークはどこにいるんだよっ!!」
「あ、あの……そのことなんですけど」
 そこに、おずおずと声があがった。いかにも気の弱そうな兵士が、こちらを向いている。
「知ってるのか!? 知ってるんだな!! さっさと答えやがれ!!」
 鎧の中の服を掴み、今にも泣き出しそうな顔を強引に引き寄せる。
「ヒィッ! あ、あの、重騎士で出たって言う話をさっき聞いて……。でも、まだこっちに重騎士は来てないから――――」
 その言葉を最後まで聞くこともなく、マルトはその兵士を突き飛ばし、未だ炎上がる戦場に眼を向ける。
 そして、駆け出そうとした瞬間、
 その手は、強い力で握り締められていた。
「……どこに行くつもりだ」
 その手はプロメテウス三世のものだった。ごつごつした手が、予想外に強い力でマルトを束縛する。
「……離せよ」
「ならん。ここでじっとしていろ」
「離せっつってんだろうが!!」
 怒りを剥き出しにする息子に、父は何かに耐えるような瞳を向ける。
「分かれとは言わん。しかし、王として、これ以上民を死なせるわけにはいかんのだ」
「!!」
 プロメテウス三世の瞳に映る、真摯な思い。まさしく、嘘偽りのない真実の言葉である。
 どうにもならない。その残酷な現実を知り、マルトは膝から崩れ落ちる。
 と、その時、巨大な影が空から降ってきた。
 その影は土を飛沫のように上げ、大きな音を立てて着地。数メートル地面を抉りながらその勢いを殺し、やっとのことでそれは止まった。
「あれは……アシュラ!?」
 受身を取らずに肩から落ちた重騎士は、右腕一本しか残っておらず、所々に損傷が見られた。
 しかし、まさしくレイジの駆る重騎士『アシュラ』である。
 地面に着地した衝撃で、アシュラの胸部装甲が開く。
 そこから落ちてきたのは、満身創痍のレイジであった。
「ぐ……」
 左腕と肋骨が折れ、体に数箇所の打撲が見られる。恐らく、相当の衝撃がその身を襲ったのだろう。
「レ、レイジ室長!?」
「おい、救護班だ! 早くレイジ室長に手当てを!」
 おおわらわになる騎士たち。その光景に、国民達の間にざわめきが起きる。
 怯える国民。傷だらけの英雄。そして、切り裂かれたエルリナ。
「なんなんだよ、これは……」
 怒りか、怯えか、あるいはその両方か。肩を震わせ、マルトは天に怒りをぶつけた。
「なんなんだよおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっっ!!!」
 天はただ、無慈悲に無言で答えるのみであった。





 
 聖刻歴241年。エルリナは、リッケンバーグ領エルリナとその名を変えた。





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