――新章・下――
……………………俺は…………死んだ……の、か…………?
瓦礫の山となった聖王国。吹きすさぶ風には哀愁と幽かな人の声が漂い、長い歳月をかけて築きあげてきた「ヒトの歴史の終末」を悼んでいるかのようである。
風に運ばれて聞こえてくる囁きは、どこか遠くで戦の勝利を喜ぶ兵士達のものと、戦で傷を負った少女や、死に別れた息子を嘆き、すすり泣く親のものであろう。相反する心情のこもった声が混じりあい、『エルリナが戦争に負けた』という事実をさらに色濃く浮き立たせる。
「あ〜あ、ひどいねこれ。もうみんなぐちゃぐちゃだよ」
そこに、場に似つかわしくない明るい声があがった。声変わり以前の、独特な高い男の声。そのことから、声の主が少年だということが分かる。
その声を放った中心には、十歳ぐらいの、うなじまである艶やかな黒髪を持つ少年がいる。
紫が混じった黒く大きな瞳は神秘的な何かを感じさせ、また何故か無機質的な感じも与える。体のラインやバランスは黄金比のみでできているかのような素晴らしい、まるで絵に描いたような体つきをしている。だがそれゆえに、どこか人間らしくない雰囲気を感じさせる。
紫を基調とした装飾豊かな半そでとハーフパンツを身にまとう姿は、服の形自体はともかく、雰囲気だけは神に仕える幼き神官、といった風にも見えなくはない。
「全く、僕のいない間に好き勝手やってくれちゃって……。『あいつ』はなんでも直接的な解決しか出来ないからな〜。ホント、なんで僕の隙を突いてまで人間を滅ぼしたいのかな? ……って、それは分かってるんだけどさ。『あいつ』ももうちょっとゆったり生きてみれば良いのに。いくら『管理』しているとはいえ、先のことなんてその時になってみないと分からないっていうのに……そんな急がなくても良いと思うんだけどな〜」
少年は、軽やかに、つまづきもせず、次々と瓦礫の中を歩き、あたりをじっくりと見回している。まるで、その被害を確かめ、分析するかのように。
「う〜ん……思ったより被害が大きいかな?やっぱり、人間に任せるとなんでも大袈裟になるんだよね〜。でもまぁ、それも『あいつ』の思惑通り……かな?」
少年は歩きながら口に手を当て、考えながら思ったことを口にしていく。
と、少し盛り上がった瓦礫が目の前にあった。大小さまざまな石や木の欠片の山を、何も気にせずに少年はそこに足をかけた。
その時。
「う……」
急に、足元から声が聞こえた。まるで風前の灯のような、弱々しい声が。ともすれば聞き逃しそうなほど、その声には力が無い。
「うん? 声……だよね。まだ生きてる人がいるの?」
興味本位で足元の瓦礫を掻き分けてみる。意外と瓦礫の層は厚いが、少年とは思えない膂力で大きな石の塊や鉄の欠片、赤黒い血のこびりついた、「かつて人間として存在していたもの」等を周囲に放り投げていく。
けっこうな瓦礫の山を取り除くと、不意に瓦礫がなくなり、瓦礫とは違うものが見えた。そこにあったのは…………
腹から下が無い、死にかけの人間だった。
「うわ、スゴいことになってるな〜。よく生きてるね、君」
そう、その人間は生きていた。
ちぎれた腸が飛び出ていて、右腕も肘から下が無い。乾いた血液の色と血液がほとんどない素肌の色とのコントラストは、醜悪を通り越しておぞましい。見たところ、大部分の骨が骨折しているようだ。肋骨がかなり折れているせいか、胸部がへこんで見える。
こんな状態にも関わらずこの人間は生きてていて……そして、少年は一目で生きていると見破ったのだ。
しかも、こんな残酷な光景を見ても、少年は表情をかすかに驚きに変えただけ。普通の人間なら、この惨劇に悲鳴をあげ胃の中のものをすべてぶちまけていてもおかしくない。それほどの酷い光景を前にして、少年はありえないぐらいの冷静さを保っていた。
「ああ、もう痛すぎて痛みすら感じてないんだ。でも、このままじゃ死んじゃうだろうな〜、きっと」
少年の言葉には悲しみも恐怖も無い。ただあるのは、目の前の人間を評する思考だけである。
――――ピクッ。
「ん?」
その時、男の残った左腕の先にある指がほんの少し、注意してみなければ見逃してしまうほどだが、動いた。
「ウワ、まだそんな元気があるんだ! ……ん? 待てよ。このヒト、もしかしたら……」
一瞬それに驚いた少年だったが、急に真剣な表情になり、ゆるく顔を下げる。どうやら、何かを思案しているようだ。
「うん……そうか。ちょうどよかった」
どうやら思考がまとまったらしく、少年は顔を上げた。そして何を思ったのか、半死半生の人間に向かって、
「ねえ君、生きたくない? 君、この国の兵隊さんでしょ? 生きて、屈辱を晴らしたいとか思わない?」
と問い、細く小さな手を差し出す。なおも少年は言葉を……甘美な誘いを告げる。
「僕なら、それができる。その代わり、永遠に死ねない体になっちゃうけど……それでもいいのなら、僕の手を握ってよ」
問いの先にあるものはピクリとも動かない。当たり前である。これだけの傷……いや、「破壊」を受けた人間が、動けるはずがない。
「う〜ん、やっぱりもう死んじゃったのかな? ……惜しいなぁ、ホント」
少年は残念そうに喋ってはいるが、その表情は残念そうでも何でもない。
だが、少年の落胆はすぐに驚愕へと変わることになる。
「あ……!」
あまりの動きの少なさに気付かなかったが、男は少しずつ、弱々しくではあるが確実に腕を伸ばしていたのだ。
「ぐ…………俺は………………俺、は………………………………」
あまつさえ、かすれて聞こえにくい声ではあるものの、言葉まで発しているではないか!
残された左腕はまるで救いを求めるように、ゆっくり、ゆっくりと伸びていき――――
ついに少年の手へと到達し、力なく細く白い手を握った。
男が自分の手を握るのを確認して、少年は男へと笑みを向けた。何故か無機質なものに感じられる、貼り付けたような微笑みを。そして、その労をねぎらうかのように少年は男に語りかける。
「合格! 君の意思、確かに感じたよ。…………といっても、もう意識を失っちゃってるのかな?でもまあ、そんなことはどうでもいいか。こっちにしても、いい『被験体』が手に入ったことだし、ね」
そう言い終わった瞬間、何か違和感を感じる少年と意識の途絶えた半死半生の男の間に空気が収束し始めて――――
そして、二人は眩い光に包まれた。
暗い視界の中、俺は確実に死への階段を上がっていた。
「デクの坊」ごと自分の体を断ち割られ、その時の激しい衝撃で切られた胸部装甲の隙間から外に吹き飛ばされ、その後に続く破壊の波によってできた瓦礫の下に埋もれていた。
痛みは感じない。どうやら、許容範囲を明らかに超える激痛を体が感じきれないらしい。だが、確実に血液とともに命は流れ出している。思考が鈍り、残った体の感覚が徐々に鈍くなっている事から、それがかろうじて判断できる。しかし、それすらもすぐにできなくなることだろう。
「あ〜あ、ひどいねこれ。もうみんなぐちゃぐちゃだよ」
そこに、子供の声が聞こえた。その恐怖も何もない声は、戦場にはあまりに不自然である。もっとも、大きな音や人の叫び声が聞こえないところから察するに、戦は終わってしまったのだろうが。それとも、俺の耳がおかしくなっているのかのどちらかだろう。
そういえば、エルリナはどうなったのだろうか?
そう考えようとしたが、もはや考えることすら難しくなってきている。徐々に意識にもやがかかってきているのが分かる。
まだ子供は何やら言っているが、そこで急に明かりが差した。どうやら、子供が自分を見つけ、瓦礫をどかしたらしい。その子供は、自分がまだ生きていることに驚いているらしい。目が見えなくなってきているので、「らしい」ということしか分からない。
その子供は、何かを自分に囁いてくる。鼓膜にも変調をきたしているのか、良くは聞こえない。だが、ある言葉だけがはっきりと耳に入った。
生きたくはないか、と。
自分でも何故そんなことをしたのか、否、何故そんなことが出来たのかは分からない。
その言葉に腕が反応し、声のする方向──子供へと伸びていく。ほとんど無意識の動作だ。
そこで、ほとんどの感覚が消え失せた。あるのは、子供にしてはやけに冷たい手と、目蓋越しに感じる強い光――――――
「………………」
そこで、目が覚めた。
…………目が、覚めた?
何故、自分は「目が覚めた」と感じることができるのか? 自分は明らかに死へと向かっていた。それが、どれほどの時間がたったのかは分からないが、意識がある。これは一体……
(…………)
考えていても始まらない。現在の状況とそれに関する情報を整理しなければ、動くにも動けない。
とりあえず、今の自分の状況を確認してみることにした。
仰向けに横たえられているらしく、目に見えるのは白く、高い壁のみである。だが、その高さが尋常じゃない。明るいおかげで天井を見ることはできるが、その高さを測ることが出来ないのだ。
今度は、自分の体に意識を集中させてみる。首、肩、腹……と、中心から末端へと意識を這わせてみる。すると、そこにはあるはずのないものが感じられた。
右腕と下半身が、ある。
アークは横たえていた上半身を起こし、自分の両腕を見る。
確かに右腕がある、それに、下半身もだ。服はなく、自分の素肌が確認できる。
しかし、確かに自分はデクの坊ごと断ち切られたはずだ。……それが、何故?
そこで、ようやくあることに気付いた。
腕や足に、幾本かの線が見られる。
触ってみると、ただの線なのか溝が感じられない。
それに、生身の腕と違って堅くて冷たい。これはまるで、金属のような……。
次に、他の部分も手で触って確かめてみる。
分かったことは、首の辺りを境に感触が変わっていて、首を含めた首から上は元の人間のままであるということ。そして、体格が以前よりも一回り大きくなり、体のラインが多少鋭角的になっていることと、人間には無い形のもの(例えば、両肩についている緑色の艶やかな、石ころほどの大きさの宝石など)が幾つか体についている、ということだ。以前に比べて二十〜三十センチほど視界が高くなっているし、腕や足も丸太のように太くなっている。
今度は周りを見回してみる。
天井と同じく、全てが白い。自分が横になっていた簡素な白い台の他には何もなく、ここが巨大な正方形の部屋であることだけが唯一分かった。ただ、全てが同色であるのと比較する対象がないのとで、どれほどの大きさまでかは分からなかったが。
「あれ? もう起きたんだ。君、すごいな〜。体力も精神力も、普通の人間とは思えないよ」
横からいきなり声がして、アークは思考を中断された。
声のする方向に振り向くと、アークから十メートル離れたところに少年が立っていた。
うなじまである艶やかな黒髪に、あどけなさが残る柔らかいラインで構成された顔。紫を基調とした半そでとハーフパンツは、形こそシンプルなものの装飾過多で、生地は上等なものを使っているらしい。
(十歳か十二歳ぐらいか? 上等な服を着ているということは、貴族の子供か何かか……)
いや、そんなことは関係無い。口ぶりから察するに、この少年は自分と関わりがあるようるだが……元暗殺者である自分が、少年が近くに立っていたことに気付なかったぐらいだ、只者ではないことだけは確かだである。
「……何者だ」
アークの目が疑いの意志を含み、より鋭いものへと変化する。素性の知れない怪しい人間に油断し気を許すほど、アークは愚かではない。例えそれが子供であったとしても、だ。
「やだなぁ、そんなあからさまに敵意を向けないでよ。命の恩人に、そんな態度はないと思うんだけど?」
普通の子供なら泣き出すほどの強い眼力だが、少年はその視線を受けても肩をすくめるだけである。なんとも飄々とした少年である。
だが、アークは少年のそんな態度よりも少年の言葉に引っ掛かりを感じた。
「命の恩人、だと?」
「そ。覚えてないの? 君が生きたいっていうから助けてあげたのに」
そういえば、意識を失う間際で聞いた声とこの少年の声はよく似たものであったような気がする。だが……
「そんなことを聞きたいわけじゃない。お前は何者だ? ここはどこだ? そして……この体はどうなっている?」
「まあまあ、落ち着いて。そんなに一気に言われても答えれないよ。君の体のことも含めて、順を追って話すからさ」
あくまでも自分のスタンスを崩さずアークをなだめる少年は、アークのそばまで歩いてくる
「さて、どこから話そうかな…………とりあえず、僕と出会ったところからでいいのかな?」
アークは頷いた。情報量が足りないので、少年の言葉に耳を傾けなければ何も始まらない。
少年はアークのその態度に満足するかのように、笑みを浮かべて喋りだす。
「君は本当に死にかけだった。多分、一般人なら既に死んでるくらいに。君の強靭な体と強い精神力が君を常人よりも生き長らえさせたんだろうね。だからこそ、僕は君に凄く興味を引かれたんだ。『あれ』を埋め込むには、並の人間では耐え切れないからね」
「埋め込む、だと?」
そこで、ある言葉に思い当たった。あの時、よくは聞こえなかったが、確か――
「そういえば、死ねない体になる、とか言っていたな。それと関係することか?」
「ビンゴ!察しが早くて助かるよ。……僕はある研究をしていてね。その被験体が欲しかったところなんだ。前に普通の人間で何回か試したんだけど、どうも耐え切れないらしくてね。うまくいかなかったんだよね〜…………あ、そんな怖い顔しないでよ。気持ちはわかるけどさ、でもこれ、君たち人間にとってとても有益なものなんだよ? まあ、考え方によっては無益にもなるだろうけれど」
「有益かどうかはお前達が決めることじゃない、俺たちが決めることだ。少なくとも、人間を弄ぶお前等のやることが俺たちにとって有益とは思えんがな」
「ま、確かにそうかもね。しかし、お前『達』、ねぇ……。もしかして、僕の正体に気付いてる?」
一見驚いたような表情をしているが、少年は慌てることもなく、あくまで自然のままである。
その表情に、アークは眉をひそめる。やはり、まるで人間らしくないな、と。
「断言は出来んが、その話の内容を聞けば人間じゃないことぐらいは分かる。そして、瀕死の俺を治すほどだ。並の存在ではあるまい。そもそも……気配を消すことができる子供が、只者であるはずがない」
「へえ?洞察力もいい感じだね〜。ますます君に興味が湧いてきたよ」
「いいから続けろ。話がそれているぞ」
軽い息を一つ、少年は両手を広げて肩をすくめる。
「せっかちだなぁ。……じゃあ、そろそろ君の体について話そうか」
少年は言い終わると、次々とアークの体に触れていった。足から腹、腕、胸へと触れていき、そして、その手が首の辺りで止まる。
「さっきも言ったけど、君は瀕死の重症だった。だから、君が生きるには首から下を完全に機械化して、それで欠損部分を補うしかなかったんだよ」
今度は右腕に触れる。すると、線に沿って腕が開き、空気が抜ける軽い音とともに金属やケーブルの束が露になる。
「そういうことか。……なるほど、確かに死ねない体だ」
「う〜ん……多分、君が思ってるのとは違うと思うよ? それも理由の一つだけど、どっちかっていうと……」
少年は右腕部を閉じ、今度は胸の辺り……胸部中央に埋め込まれた、小石大の緑色の玉に触れる。すると、腕の時と同じように胸部の装甲が左右に展開された。
そこには、腕の時にも見た通り、ケーブルや内骨格、そして、腕にはなかった循環器や駆動機、見知らぬ機械で埋め尽くされていた。
その奥、デザイン……というか、雰囲気の違う機械が中央に埋め込まれていた。それに指先で優しく触れ、少年は事実を告げる。
「この『ノルニル』のせいなんだよね。これこそが君が死ねない理由。そして、君を被験体とした理由でもあるんだ」
「どういうことかは分からんが……要は、モルモットという訳か」
「まあ、どうとってもらっても構わないよ。実際、そういう形になっちゃったしね……で、『ノルニル』が何かというと」
そこで、少年は不敵な顔でアークを見上げる。その顔は、まるで少年とは思えない。強いて言うとすれば……
「君を運命の鎖から解き放ち、そして君が求める力だよ」
甘い囁きで人をかどかわす悪魔か…………もしくは、英雄に力を授ける『神』のようであった。
「俺が求める力、だと……?」
「そ。友達とか大事な人とか、殺されたんでしょ? 仇、討ちたくない?」
アークはただ無言である。しかし、その無言が答えとなる。
我が意を得たり、と少年は挑戦的な瞳を向ける。
「君の大事な居場所が壊されちゃったんだ。このままじゃ、君は永遠に一人ぼっちだよ?」
その言葉に返ってきたのは、丸太のような鉄の腕だった。
風を切り裂き飛んでくるそれは、何かがぶつかる音と同時に少年の鼻先10センチのところで停止する。
「人の過去を覗き見たうえ、土足で心に入ってくる…………気に食わんな」
拳を振るわれた当人は表情一つ変えない。笑顔のまま、作り物のように驚く。
「危ないなぁ。僕の周りに障壁が展開できるからいいものの、人間だったら即死だよ? 昔とは違うんだから、力加減に気をつけて欲しいな」
(よく言う……)
拳を振るった時、少年は瞬き一つしなかった。アークは髪の毛一本の差で止めるつもりだったが、それを見切った上であえて障壁を展開して防いだのだ。まるで、君は僕には適わない、とでも言うかのように。
「……この体について詳しく教えろ」
覚悟を決めたアークを、少年はまるで問いに答えた生徒に満足する教師のように、口を大きく横に開く。
「うん。その体はね、君たちの言う重騎士を模して作ったものなんだ。重騎士と人間は体の基本的な構造が同じだから、後は魔法で補助するだけで大丈夫だったよ。それで関節部分なんかは繋ぎ目がないし、本物の人間の体みたいに柔軟に動くんだ。あ、でも、首も含めた首から上は人間の時のままなんだけどね。頭部はそのままの方が効率がいいし、ヘタにいじると本当に機械になっちゃうから」
確かに、首の付け根についている鉄の部分を境に感触が変わっている。そこから上は温かみがあり柔らかく、そこから下は冷たく堅い。
ここで一息区切って、少年は右手を胸のあたりまで上げた。その手には、いつの間にか現れたのか、胡桃が三つ握られている。
「で、その体なんだけど……論より証拠。これを軽く握ってみて」
渡された胡桃を片手で受け取り、いぶかしがりながらアークは握る。
すると、胡桃は何の抵抗もなく、軽い破砕音を立てて割れた。
「これは……?」
「基本的に重騎士の小型版みたいな体だから、ものすごい力があるんだ。それに装甲も重騎士と同じものを使ってるから、並の攻撃じゃ傷すらつかない。まあ、そのせいで体が以前より一回り大きくなっちゃったし、他にも問題がないわけじゃないんだけど……。あと、君の胸部に搭載した『ノルニル』について話しとこうか」
「『ノルニル』か……そういえば、俺たちの国にある神話、『北欧神話』における運命の3女神の総称だったな。……まさか、運命を操る機械とでも言うつもりじゃないだろうな?」
「言うつもりも何も、そのものなんだよ。君の期待を裏切るようで悪いけどね」
その言葉に、アークは顔をしかめる。そして、今度は怒りのこもった目で少年を睨む。
「運命、だと……?そんな不確かなものの存在を信じ、あまつさえそれを操ろうなどと……。ふざけるのも大概にしろ」
「まあ、普通の人間はそう思うだろうね……。だけど、これは冗談でもなんでもない。れっきとした事実なんだ。ただ、それを証明する証拠は今すぐ君に見せることは出来ないけどね」
淡々と喋る少年の表情は相変わらずの無機質なものだが、その顔には嘘偽りなど微塵もない。それに……
(こいつが並の存在ではないことは分かりきっている事だ。信じられんが、可能性がないわけではない、か)
「……わかった、続けろ」
「そ。人間素直が一番だよ? で、これは君の言ったとおり、運命を司る機械なんだ。ウルド、ヴェルザンディ、スクルドの三つから出来てて、それぞれ過去を感知し、現在を変え、未来を逸らす。そうやって、君をあらゆる危険から守ってくれる。老いることも、天命を全うすることすらもね」
その言葉を聞きながら、アークは粉々になった胡桃を見る。まるで、自分の体が自分のものではなくなったことを刻み込むかのように。
だが、少年の次の言葉にアークの行動は中断される。
「これはね、本当は君たちを管理し、僕達が運命に縛られないようにするためのものなんだ」
ある言葉にアークは反応した。顔を上げ、アークは少年を睨みつける。
「管理、だと?」
険しい表情のアークを全く気にせず、少年は淡々と事実を述べる。
「そ。君たち、普通に生きてるようで本当は僕達に管理されてるんだよ? 生き死にも、幸不幸も全て、ね……。それが、僕達の使命でもあり、責務でもあり……必要不可欠なことだから」
その言葉に、腹の底から頭に向かって、嫌悪感と激しい怒りが上っていくのをアークは感じた。
そしてそれが頂点に達し、脳に認識された瞬間、アークが動いた。
少年の胸倉を掴み、その顔を自分に引き寄せる。今度は障壁が出ず、すんなりとうまくいった。
「……ふざけるな。誰もそんなことを頼んではいない……!」
アークは犬歯を剥き出しにし、静かに吼える。まるで、こいつが青やチーフを殺し、自分の大切な場所を奪った、とでも言わんばかりに。
苦しそうな顔を見せず、逆に少年は真剣な顔になった。
「でも、僕達はそうしなければならない。そうしないと生きていけないからね」
「……どういうことだ?」
怪訝そうな表情を浮かべ、問いただすためにアークはひとまず怒りを抑え、少年を地面に下ろす。服のシワを直しながら、少年は表情を変えずにアークを見据える。
「簡単なことさ。僕達は活動……『生きる』のにマナを消費するからだよ」
「マナ」とは、エーテルとも呼ばれることがある。『質量が限りなく0に近く、あらゆる空間に漂う、あらゆる事象の素』のことである。
あらゆる物質に変化し、様々なものを形作るだけでなく、「喋る」、「歩く」といった行動にさえ、何かしら関与しているとされている。そして、マナはそれらの元にることによって消費される。
「だけど、人間が生まれてから、マナの総量がだんだんと減ってきている。何でか分かる? 人間が魔法を使ったり、重騎士を動かしたり、それによって急激に繁栄し始めたからマナが減ってきているんだよ」
マナは強い精神波に感応しやすい性質がある。その性質を利用して、「頭の中で『求めるもの』を思い浮かべ、さらには呪文を口にすることによってイメージをより固定化し、周囲のマナを『思い浮かべたもの』に変換・再現する」のが魔法である。魔法の基本である「想造(想像による創造)」という言葉が示すとおり、想像することにより理論上無限の可能性を秘める魔法だが、それはあくまで理論上の話だ。火や水といった簡単な構造の現象ならともかく、機械や生物といった複雑な物体はほぼ再現不可能である。機械自体はイメージできるかもしれないが、機械を完璧に再現するのはそれなりの知識と内部まで事細かに表現する想像力が必要になるからだ。無論、その大きさ、複雑さに比例するように、マナの消費も大きくなる。
そして、一般には知られていないが、重騎士も空気中のマナを収集、さらに内部にあるマナ変換機によって「純粋な動く力」に変えて動いている。大きさが大きさだけに、消費する量も他の事象の非ではない。
「となれば、マナの消費を抑えるために、人間をコントロールするしかないでしょ? ……とはいっても、元々人間は僕達の手の届かない、それこそ本当に運命によって全てを決定付けられているんだけどね。僕達のやっていることは、それをほんのちょっといじってるだけなんだ」
そこで、真剣な瞳は奥に下がり、いつも通りの柔和な、作り物の笑顔が顔を出す。
「でもね、皆が皆、そう思っているわけじゃない。今回人間の間で起きた戦争は、先走ったヤツが裏で人間を操った結果だろうね。そのせいで、皆が慌てて裏で動き始めて、人間界はどこもかしこも戦争だらけだよ」
突如、少年とアークの間に幾枚もの薄い板が現れる。そこに映るのは、血で血を洗う人同士の争い。それも、色んな国のだ。
「……」
「ま、そんなことはどうでもいいか。……さて、ここからが本題。
・…………エルリナはまだ完全に死んでないよ」
無数の薄い板が一つだけを残して消える。そこに映されているのは――――
「室長……!」
それだけではない。マリアにプロメテウス三世、マルトまで居る。どこかは分からないが、何か慌しい雰囲気と疲れきった顔色、そして、全てのものに緊張が含まれているのが見て取れる。
「あれからもう一ヶ月。この人たち、残りの戦力と同盟国の援助でエルリナを取り戻すつもりみたい。大敗したにもかかわらず、この短期間でこれだけ戦力を集めて態勢を立て直すことができたのは賞賛に値すると思うけど…………この戦、エルリナが負けるよ」
他人事のように平静としている少年を、アークは多少の焦りとともに睨む。
「一ヶ月だと!?」
(あれからもうそんなに経っていたのか!? クソッ……!)
少年の言葉が、アークの心に焦りを生む。そして、心に生まれたそれは今度は態度に表れる。
「回りくどい言い方をするな。さっさと用件を言って、俺をあそこに連れて行け」
「全く、せっかちだなぁ。まあ、一刻を争うことだもの、仕方ないかな?」
肩をすかした少年は、パチン、掲げた右手の指を鳴らす。
そして、その音に呼応するかのように現れたものは…………
光を纏いながら降臨する天女だった。
白をベースとした、ドレスのような服。割と簡素なのは、動きやすさ重視だからだろう。
目蓋を閉じた無表情は、美人というよりは、どちらかというと可愛いと表現した方がいいだろうか。全体的にシャープで綺麗な顔立ちをしており、闇夜に輝く北極星のような、儚げながらも芯の強さを感じさせる美しさである。
萌える夏草のような緑色の髪は頭上で結い上げられていて、地面に逆らわずに優しくたれている。
ぱっと見少女という年齢ではないが、大人の女性、というには少し若いかもしれない。自分と同じくらいか、もしくは少し若いか……。
鉄の棒にも似た無骨な杖を両の腕で優しく抱き、背中から直接生えている機械の翼を悠然と広げる姿は、まさしく予言をもたらす天使そのものである。翼は金属製ではあるものの、違和感などまったくない。むしろ、その翼がまとう純白の輝きによって、美しさが際立っている。
「…………」
いや、そんなことは関係無い。
アークは、この女性から目が離せなかった。
隣で意外そうな顔をする少年など、視界の中に入らない。
瞬きをするのも忘れてしまっている。
そんなアークを尻目に天女は降りてきて、二つの足でゆっくりと地面をかみ締める。同時に、翼がまとう白光の衣は羽の形を持って霧散する。
そこで、天女がゆっくりと目を開いた。
美しい目であった。いや、そんな陳腐な言葉では語れない。
力強さと、その奥に優しさを感じる蒼い瞳。その瞳に、アークの視線は吸い込まれそうになる。
そんなアークをまるで気にも止めず、唐突に天女が口を開いた。
「オーディン様、何の御用でしょうか?」
口調自体は静かだが凛とした張りがあり、意志の強さが窺える。
そこでやっとアークは自分の意識を取り戻した。
(なんだ、今の感覚は? しかし、それより……)
「オーディン、だと?」
オーディンといえば、エルリナの守護神であり、北欧神話の頂点に立つ最高神である。ただ、守護神だというのはこの国の創始者が勝手に決めただけなのだろうが……。
「はい。ここに居られる御方は、私達『天使』や神を束ねる最高神、オーディン様です」
懐疑的な目を向けるアークに、天女は柔らかに、しかし淡々とアークの疑問に答えた。
「とはいっても、そんなに偉いわけでもないんだけどね。まあ、一部族の長みたいなものかな? ……それにしても君、あまり驚かないね」
「ある程度予想はついていた。最初はただの少年だと思っていたが、そもそもこれほどの力を持つ人間がいるはずがないからな。古来から大きな力を振るってきたとされる『神』だとすれば、信じることは出来んが一応の納得は出来る」
なるほど、オーディンはと納得し、
「まあ、僕の姿はほとんど趣味だからね。一応どんな姿にもなれるんだけど、この姿だと情報収集が簡単でさ。……で、『これ』には君の体のメンテナンスをやってもらおうと思ってるんだ。君の体は試作機だから、不備がいろいろ出ると思うし。そのためと、あとはデータの収集だね。他にも豊富な知識があるから、決して役に立たないことはないと思うよ。なんてったって、僕の最高傑作だからね。それと……」
オーディンが今度は左手の指を鳴らした。軽い音が再び室内に響き――――――
<お呼びでしょうか、我が王よ>
「!?」
物音一つ、気配一つ立てずに、アークの横にかしずく重騎士が現れた。白銀の鎧を着込んだかのような、美しい流線型のフォルムを有する重騎士である。しかし、アークが驚いているのはそんなことではなく、
「喋った……?」
そう、重騎士が喋っているのだ。重騎士というのはただの巨大人型機械で、喋ることなどできないはずだが……。
その声に、重騎士が驚いたように顔を上げる。重い足音を立てながら立ち上がってこちらを見、
<人間!? 我が王よ、これは一体……!?>
そう言ってから、今度はオーディンに向き直る。
「うん。フォルセティ、今日から君はこの人についていくんだ」
<理由をお聞かせ下さい! 下賎な人間如きと行動をともにしろとは……>
「あのさ……これから一緒にいる人に向かってそんな言葉使ってると、後々気まずくなるよ?」
<はぐらかさないで頂きたい! 我が王よ、答えを!>
やれやれ、とでも言うように、軽く首を振ってため息をつき、フォルセティと呼んだ重騎士を見上げる。
「じゃあはっきり言うよ。フォルセティ、君の考えは偏りすぎている。平和の代行者たる君がそんな考えではいけないんだよ。大体人間が下賎で僕達が高尚だなんて、どこにそんな証拠があるのさ」
<……>
フォルセティと呼ばれた重騎士は答えない。恐らく、一応心のどこかで自覚はしているのだろう。もしくは、圧倒的な存在感に、格の違いにおのの慄いているのか。恐らくその両方だろう。
「それに、君はまだ若い。戦いというものがどういうものかを知らない。戦いを収める平和の代行者が、戦いを知らないようじゃ話にならないでしょ? だから、人間の戦に参加して、戦いとはどういうものかを学んでくるんだ」
<しかしそれは――――>
なおも反論するフォルセティ。しかし…………
「フォルセティ」
少年は静かにその名を告げた。その瞬間――――
空気が変わった。
少年を中心に、厳かで侵しがたい「何か」が発せられ、圧倒的な存在感が辺りを支配する。まるで、逆らうことなど許さない、とでも言うように。
さっきまでの明るい子供は影をひそめ、今眼前にあるのは少年の形をした『神』である。
「君の意見は関係無いんだ。分かるかい? これは『命令』なんだよ」
その言葉に一瞬逡巡……いや、恐れと畏れを露にするフォルセティだったが、再びゆっくりと片ヒザをつき、頭をたれる。
<で、出すぎた真似を申し訳ありませんでした。全ては王の御言のままに……>
その姿は、滑稽を通り過ぎて異常だった。強大な力を持つ重騎士が、たかが子供に逆らうことができないとは……。
いや、あれは子供ではない。見かけは子供でも、北欧神話の頂点に立つ神の王なのだ。これこそが当たり前なのだ。
「さて、ようやく話もまとまったことだし。さっさと君を送らなきゃね」
さっきと同じ軽やかな声で、オーディンはアークに向きなおった。常人なら体を掻き毟って発狂死しそうなほどの威圧感は、既にない。その変わりようは、まるで夢を見ていたかのようだ。
アークは目の前にいる少年に険しい目を向けた。まるで、「敵」だといわんばかりに。
「答えろ、オーディン。……一体何を企んでいる?」
「企んでるって……やだなぁ、僕は純粋に実験結果が知りたいだけだよ。向学心を忘れたものに発展はありえない……ってね」
相変わらず機械的な笑みを貼り付けたオーディンをアークはしばらく睨みつけていたが、
「……まあいい。今はその言葉を信じておいてやる」
「そうそう。人間、素直が一番だよ?」
軽口をたたくオーディンは、アークたちから少し離れて両手を伸ばし、目の前で交差させた。
「それじゃ、今からゲートを作るね。異空間経由だから着くまでに多少時間がかかるだろうし、その間にでも二人に色々聞いてみればいいと思うよ」
言い終わった後、交差させた両手の指が激しく動き、まるで編物を編むかのように魔方陣を紡いでゆく。
宙で紡がれた魔方陣は円の形を維持したままアーク達の足元に滑り込み、白く眩い光を噴出させる。
「これは?」
アークがその光に驚いた瞬間、言葉さえも飲み込んで二人と一騎は跡形もなく消えた。
そこに残るオーディンは、アーク達がいたところをずっと見つめつづけ……
「さて、これであいつはどう動くかな……?」
意味深な言葉を残して、作り物の笑みを何もない空間に向けた。
「……オーディン様も仰られていた通り、神と呼ばれる方々はある特定の地域ごとに、人間には干渉できない国のようなものを作り、その地域の人間を……正確には、その地域におけるマナの消費量を管理しています。例えば、私たちが仕える、オーディン様を筆頭とした北欧神話の神々は、エルリナ大陸の北東部にあるエルリナ国とその周辺を支配しています。
今回の戦争の発端でもあるリッケンバーグはゼウス様を筆頭とするギリシャ神話の神々が管理しておられたのですが……。しかし、だからといって人間を扇動したのがゼウス様だと考えるのは早計だと判断します。神々には温和な方が多いのですし……。
ただ、今回オーディン様が所用でエルリナを留守にしたのを見計らってリッケンバーグの人間を影から扇動、戦争の口火を切った…………このことから、オーディン様の行動を知る人物によると推測します。他の国が戦争になっているのは、その発端である神とそれに賛同した神々が根回しをしたためではないでしょうか。これもただの推測でしかありませんが」
空間と空間を繋ぐ擬似空間を落ちながら、天女は淡々と説明を始めた。
青一色の空間を延々と落ちているのにアークのように違和感を感じているようでもなく、顔色一つ変えない。
アークはあまりいい気持ちではなかったが、それを押し殺して別のことを考えていた。
(あいつは確かにこいつを『これ』呼ばわりしていた。……やはり、こいつも人間ではないということか)
アークは天女に手を伸ばし、そっと頬を触ってみる。まだ力の加減がうまくいってないのか、天女は表情を少しだけ歪めた。
「……なんでしょうか?」
「いや……気にするな」
確かに彼女は人間ではない、はずなのだが…………
(この柔らかさ、温かみ。まるで人間と変わらない)
思わず、機械の体である自分のほうが人間ではないのではないか、と錯覚してしまう。
と、そこであることに気付いた。
「まさか、お前には痛覚があるのか?」
強く力を入れられて顔を歪めたという事は、皮膚に感覚が通っている証拠だ。ここまで来ると、逆に人間じゃないとは思えない。
「はい、そうではないと人間とコミュニケーションを取る時に不具合が生じますので。また、ボディーの故障や不備が分かりやすいという利点があります。正常に動かない場合、痛み・不快を示す電気信号が発信されるようになっています。その他にも、発汗や涙を流すといった機能もついています」
話す内容を聞いていると、確かにこの少女は人間ではないのだと感じる。だが、アークはある言葉に引っ掛かりを感じた。
「待て。……人間とコミュニケーション、だと? どういうことだ?」
怪訝そうに眉をひそめるアークに、天女は淡々と説明を始める。
「私達は神の情報端末です。神は私達をあらゆるところに送りこみ、情報の収集と送信を同時並行で行わせます。また、私達はネットワークで繋がっており、容易に情報の交換が可能となっております。それを元に自立的に行動し、リアルタイムでオーディン様のような神の王に情報を提供する。……それが私達『天使』なのです」
「俺達の行動は神に逐一報告されている、ということか。……気に食わん話だ」
<愚かな人間を野放しにしておくわけにはいかん。人間はすぐに争い、無駄にマナを消費する。だからこそ、常に目を配っておく必要があるのだ。分からんか、人間よ? だから貴様達は愚かなのだ>
横から機械音声が割って入ってくる。音源に顔を向けると、腕を組みながらこちらを見下ろすフォルセティの姿があった。両肩のアーマーにカギ爪のようなもので止められている細いマントが左右に揺れ、背部に固定されている盾と剣を優しく撫でている。
「管理といいながら人間の戦争を未然に防げなかったお前らに、人の賢愚を決めるいわれはない。せめて、戦争を終結させてから大口を叩け」
<我に意見する気か? 人間風情が>
「勘違いするな。『意見』ではなく『正論』だ。これでは、オーディンに無能の烙印を押されるのも当然だな」
<言うたな、人間の分際で……!>
マシンボイスに怒の色が混じる。その様は、まるで機械とは思えない。妙に人間くさい言動である。
「平和の代行者というあざなは飾りか? 自身を制御しきれずに、戦争の制御ができると思っているのか?」
<黙れ、下郎が!!>
淡々とするアークに対して、フォルセティは激昂して直接的にアークの口を塞ごうと動き出し――――
「おやめ下さい、フォルセティ様。今はそのようなことをしている場合ではないと存じますが」
いきなり横から合いの手が入った。アークとフォルセティの間に割って入ってきたのは、あの天女である。蒼い瞳をフォルセティに向け、怒る相手の気を静めようとする。
「アーク=セイクリッド様。お気持ちはわかりますが、今この場で争っても仕方がありません。なにとぞ、気をお静め下さい」
今度はアークを蒼い瞳で見、感情の入っていない声を向ける。見た目は普通の人間と変わらないのに、まるで機械のような振舞いをする天女に、アークは違和感を感じて一瞬だけ眉をひそめた。
「気は静まっているし、無駄な争いをするつもりもない。相手はどうか知らんがな」
<ふん……我を愚弄した件についてはとりあえず不問にしておいてやる。そのようなことより、我があざなを己の意味とする場についての情報を教えろ、ライラ。我等の行く場所がどのような場所か分からんようでは話にならん>
「ライラ?」
この重騎士の名前はフォルセティ。自分の名前はアークだ。となると……
「はい、では今からそちらにデータを圧縮して転送します」
無駄の一つもなく、ただ機械のように作業をする天女に目を向けた。と、その視線に気付いたのか、ライラはこちらに向き直る。
「そういえば、私の名称を伝えてなかったですね。型式番号では呼びにくいですから……便宜上、ライラ=スラオシャと名乗っております。他の呼び方のほうがよいのなら、そちらにあわせますが」
「いや、構わん。どっちでもいい」
「そうですか。それと……どうやら私の喋り方にご不満があるように見受けられますが。……失礼します」
言い終わると同時だった。返事もしてないのに、ライラはアークに唇を重ねた。あまりの不意をついた行動に、さしものアークも対応することができなかった。
「……どういうつもりだ?」
訳が分からず、アークはライラに行動の意味を尋ねる。
「御気を召されたのなら、申し訳ございません。アーク様の口腔内から、アーク様の細胞を採取させて頂きました。今からアーク様の情報を解析し、より適した言語パターンに変更します」
ライラは目を閉じると、自分の体を浅く抱きしめる。目を閉じたのは、現在不必要な機能を終了し、別の機能をより効率よく使用するためだ。
「DNA解析…………終了。取得した情報と過去のコミュニケーションデータから、最良の言語パターンを検索……第2・第16・第297…………第1932から第1976の言語パターンから一部を抽出・複合。新規言語パターンの再構成を開始…………」
しばらくして、ライラは軽くため息をついた。恐らく、演算装置にかかった負荷のために上昇した、体内の温度を冷却するためのものだろう。
そして、舞い降りた時と同じく、ゆっくりと目蓋を開く。
「と……こんなものね。どう?」
「どうと言われても返答に困るが……」
さっきと喋り方があまりにも違うので、違和感は多少感じる。しかし……
「ヘタなものよりはその方が話していて楽だ」
「ん、やっぱりチョイスは間違ってなかったようね。で、どう? フォルセティのほうは。情報はもう送り終わったはずだけど」
<こちらで確認した。しかし……いくら王の最高傑作の天使だとはいえ、天使より上位である我に対する言葉遣いがぞんざいな気がするのだが>
「しょうがないでしょ、アークに合わせたんだもの。アークにとっては、そのほうがいいってことじゃないの?」
<貴様…………一度ならず二度までも我を愚弄する気か!?>
フォルセティは何故かアークに怒りをぶつけてくる。アークはややうんざりしながら気だるげに喋りだす。
「人の所為にするな。そいつが勝手に判断しただけだ」
「失礼なこと言うわね。アークのDNAから性格、性癖その他諸々判断したのに、私が間違うわけないでしょ。それこそ人の所為にして欲しくないわね」
「……さっきから聞いていて思ったんだが、DNAとは何だ? 他にも色々と聞きなれない言葉を聞いたが」
その言葉を聞いてライラは眉をひそめるが、すぐに思い当たったように掌に拳をポン、と置いて納得する。
「ああ、そういえば分からないか。そうね……DNAっていうのはヒトの情報の集まりのことで、あとは……まあ、あんまり関係無いから省くわね。どうでもいいことだし」
<今はそんなことが問題ではなかろう。今計算してみたが、貴様の所属する国と敵との彼我戦力差は1:9だ。戦力保持数で計算しても1:12。勝率は無きに等しいな>
「…………」
アークは非常な現実を突きつけられて押し黙る。正直言って厳しいどころではない。例えるなら、広大な砂漠に落ちた一粒の砂糖を探すようなものだ。しかし、アークは今からそれを成し遂げなければならないのだ。
<だが、この程度我の敵ではない。足元にも及ばんな>
「まあ、ね。これぐらいだったら何とかなるでしょ」
二人(いや、一人と一騎か)はさっきとは全く違った言葉を放つ。まるで厳しそうな雰囲気がない。
「さっきと言っていることがまるで違うぞ。何故そう言い切れる?」
「さっきフォルセティが言ったのは『私たちを抜いた彼我戦力差』だもの。フォルセティと私、そしてアークがいれば、数なんてものじゃないわ」
<左様。貴様達は重騎士と呼んでいる兵器がいくつあろうが、あのようなデク人形では『神』である我に勝てるはずも無い>
(まるで平和の代行者らしくない言動だな。平和は話し合いだけで解決できないことを知っているのか、それとも人間を「平和に導く対象」としてみていないからか……。確かにオーディンの言うとおり、こいつは問題アリだな)
アークはその言葉を聞いても納得するそぶりを見せない。
(しかし、それより……)
むしろ、その理由ではない別のところに眉をひそめる。
「神……? お前はただの喋る重騎士ではないのか?」
<貴様……人間の分際で度が過ぎ――>
「はい、スト――――ップ!!」
フォルセティが怒り出す前に、鉄の翼をはためかせたライラがフォルセティの眼前で両手を前に伸ばして制止させた。
「これから一緒に闘おうって言うのに、何度も怒ってちゃキリがないでしょ。それに、今のはアークも知らなかったみたいだし、ああ言われても仕方ないでしょ」
<む…………>
人間ではなく天使に正論を言われ、フォルセティは言葉を詰まらせた。それを納得の意と取ったのか、今度は擬似空間の中を器用に羽ばたきながら、ライラはフォルセティの足元にいるアークの元へと降りていく。
「あなた達人間が重騎士と呼んでいるものは、『神』の抜け殻なの。『神』は多少の制限はあるものの、色んな体に自由に自分の心を移すことができるのよ。例えば、オーディン様は『神』であるにもかかわらず、重騎士のような形ではなくて子供みたいな外見してるでしょ? 他の神にも、人間や雲なんかに形を変えることができる方もいるし。まあ、実際変えれるのは形だけなんだけど・・・。でも、そうすると前の体はただの鉄の塊になるわよね? それは既に不要品だから、神達は人間界の地中奥深くに埋めるの。それを掘り返して補修をおこなったものが、あなた達の言う『重騎士』という訳」
「なるほどな……。しかし、自分達で俺達の足元に埋めておいて、人間が重騎士を使うからマナがなくなっていくなどと、よく言えたものだ。使われたくないのならば、俺達よりも先に重騎士を『管理』しておけ」
「まあ、最初は人間に使われるとは思ってなかったみたいだから……。それが分かってからは神も人間界で処理することをやめたし」
<説明はそこまでにしておけ。もうすぐ擬似空間と目的地の接続が完了する>
上から落ちてくるマシンボイスはあと少しで目的地に着くことを示している。下を向いたアークは、下方の空間の青色が少しずつ白くなっていくのを確認した。
その瞬間、目が眩むほどの光が下から上がってきて――――――
たくさんの人がいる。
たくさんの重騎士がいる。
それらたくさんの物体は、敵の手に落ち、リッケンバーグの所有物となったエルリナ城の上側、工房に置かれている即席のやぐらを中心に左右に分かれて何列にも並んでいる。
屋根のない鉄のやぐらの中にいる男は、リッケンバーグ国国王、ライオス=リッケンバーグその人である。妊婦のような腹の突き出た鈍重な体型、頭は禿げ上がり、油で光を反射している。その下についている目は陰気な光を宿し、常に下卑た笑みを浮かべる口は、今回ばかりは引き締められている。王族の儀礼服を着込んではるが、大分きつそうである。
「諸君!! 我がリッケンバーグの愛しき破邪の剣よ!! 残念ながら、また戦場に赴いてもらわねばならん。何故なら! 負け犬のエルリナ国王が!! 同盟国に泣きついて手に入れた戦力を用いて、今! まさに!! 我らに刃向かおうとしているからであるっ!!」
力強く握った脂肪だらけの右拳を、今度は開いて右側に大袈裟に伸ばす。
「聡明な諸君なら分かるはずだ! 正義は我々にあると!! 長年我らを虐げ、我が国民に苦しい思いをさせたのは、エルリナ国王の策略によるものだと!」
今度は左腕も広げ、神でも抱くように空を見上げる。人の上に立つ者のものとは思えない幼稚な演説を、真剣に聞くものは誰一人としていない。一人悦に浸っているライオスはそれに気付いておらず、愚かを通り越して哀れである。
「我らが国の守護神・ゼウス様の神託にも、そう告げられている! もはや、これは疑いようのない事実である!! ならば、我ら正義がすることは一つ!! 悪を打ち倒し、国民に永久の平和と幸福を…………」
そこで、やっとライオスは国民達が妙に騒がしいことに気付いた。最初は自分の演説に感動してのものだと思っていたが、このざわつきはそんなものではない。不思議に思って顔を下げ、兵士の方を見てみると…………
「な、なんじゃぁっ!?」
兵士達のちょうど真ん中、ライオスから見て前方百メートルほどのところの空間がまるで陽炎のように歪んでいるのだ。
その異変に気付いたのもつかの間、陽炎は太陽でも現れたかのような激しい爆光に変化し……
軽い足音が二つと重い足音が一つ、その中から聞こえた。
それが契機となったのか、激しい光は水がはじけるように周囲に飛び散り、光が消えたその中心部に男と女、重騎士が立っていた。
「――――って、ちょっと、敵のど真ん中じゃない!! オーディン様、何を考えて……」
「なるほどな……なかなか粋な計らいをしてくれる。フォルセティ、胸部装甲を開けろ!!」
<人間風情が我に命令するな! それぐらいのことは承知している>
「粋なはからいって……キャッ!」
ライラはアークが腰に手を回してきたと感じた瞬間、今度は急に目の前の景色がめまぐるしく動き、しばらくしてからやっとアークが自分を抱えながらフォルセティのコクピットに向かってジャンプしていることに気付いた。
「いい体だ……これなら申し分ない」
大地に反発するかのように軽やかに飛ぶアークは、新しい自分の体の性能に軽い驚きを感じた。
息をつく間もなく、アークは地上約六・七メートルのところにある制御室に飛び移り、制御板へと目を向けようとして――――
「む? 制御板がない?」
制御室の中にあるのは、椅子と体を固定する機械だけである。重騎士を操作するために必要な制御板や肘掛兼用の赤い操作宝玉がない。それに、普通の重騎士のような単座式ではなく副座式になっていて、主搭乗者用と思われる椅子の後ろ、やや上方にもう一つ椅子がある。思いのほか簡素なその制御室内は、天井に設置されている照明灯と外からの光によって鈍色の光を反射している。
<何をしている。説明をしているヒマ等ない。早く椅子に座れ>
覗き穴のあいてない胸部装甲をデクの坊とは比較にならないほどの速さ・滑らかさで閉め、フォルセティはアークを急かす。
確かにそんな時間はない。敵は状況が完璧に判断できてないのか呆けたままでいるものの、いつ襲い掛かってくるとも限らないのだ。
言われるままにライラを少々乱暴に後ろのシートに乗せ、自分は前方のシートに腰を下ろす。後ろでライラが何か文句を言っているような気がするが、とりあえずそれは聞かなかったことにする。
それと同時に、椅子の背もたれ、ちょうど首と同じ高さのところが開いて、中から一本の太いコードが出てきた。
<操者との接続を開始>
そのコードはアークの肩甲骨との間、それより少し上にある穴に接続される。
それと並行するように、アークの足・肩・腕がシート周辺にあるカギ爪状の鉄の拘束具によって固定される。
<接続・固定完了。操者との感覚の共有化を開始>
直後、アークは一瞬中に浮くような感覚を覚え――――
気が付くと、視界が外の、地上約八メートルの高さにあった。
「これは……?」
不思議に思って自分の手をみると、フォルセティと全く同じ手であった。そもそも、拘束されているはずの腕が普通に動かせている。
<貴様と我の感覚を共有した。今、貴様は自分の体を動かすかのごとく我を動かすことができる>
頭に声が響く。フォルセティのマシンボイスだ。
<それと、私が副操縦者としてアークとフォルセティをサポートするから。細かいことは気にせず、闘いに集中して>
今度は、ライラの声が頭に響く。不思議と心地よい感覚が広がるが、今はそれに気をとられている場合ではない。
<でも、なんで私を制御室の中に連れてきたの? 確かに私は私やフォルセティがいれば数なんて物じゃないって言ったけど、私がどう役に立つか一言も言ってなかったのに>
「放っておけば危険なだけだ。そして、現時点で一番安全な場所は制御室しかなかった。それだけだ」
<…………>
「? ……どうした?」
<え!? ああ、いや、なんでもないの。気にしないで。……そういえば、粋なはからいってどういうこと?>
「俺に対するツケをすぐに払わせることができる……ただそれだけのことだ。もっとも、アイツにとっては早くこの戦争を終結させたかっただけなのだろうがな」
その答えに納得しているようないないような感じのライラだったが、すぐに雰囲気が真剣なものになった。外の兵士達が動き出したからだ。
「き、貴様っ、何者だ!? 所属と姓名を名乗れ!!」
その中の一人が、自分に向かってそう叫んだ。
この後に及んで敵である自分に所属と声姓名を聞いてくる自分に、アークは心の中で苦笑した。愚かな連中だ、と。
その問いに、アークは行動で答えを示した。
瞬時に背後の剣を抜き取り、そのまま近くにあった重騎士に狙いを定め、
鉄がひしゃげ、鉄と鉄が擦れ合う大音。
バターを切り裂くかのような軽い手ごたえを感じ、重騎士は真ん中から二つに割れた。
重騎士の片側が倒れ、鈍く重い音がした直後、
その重騎士を中心に、凄まじい爆発が起きた。
その熱と爆風に巻き込まれ、数人の兵士が燃え盛る生きた松明となる。
周りに飛び散る炎が照り返す中、炎を背後に背負ったフォルセティは陰影によってなのか、緑色の目をらんらんと輝かせているように見える。それはまるで悪鬼のようであり、兵士達の恐怖を倍増させた。
「今こそ返してもらうぞ……俺の所属を、俺の在るべき場所を!!」
固い決意を乗せた言葉とともに、アークは動き出した。
自分の足を動かすと、それと全く同時にフォルセティの足が動く。そして、その動きは前方に並ぶ重騎士を屠るための予備動作となり、殺戮の宴の始まりともなった。
一歩踏み出すだけで、普通の重騎士とは比べ物にならないほどの速度で動き、距離が一瞬にして詰まる。剣を振るえば、手ごたえなど微塵も感じさせずに一つであったものが二つになる。それも、自分の意のままに、だ。
普通の重騎士は、全ての感覚を重騎士に合わせたものにイメージして動かさなければいけないので、動きはぎこちなく、その反応速度も遅い。だが、今のフォルセティの動きはまるで人間そのもので、普通の重騎士ではまずありえない軽やかさである。これも、イメージするという行動を介さず、自分の動きがそのまま重騎士の動きになるフォルセティならではのものである。
<アーク、後ろ!>
やっと態勢が整ったのか、重騎士が背後からこちらに向かってきている。ライラの声とともに、その映像と相対距離・相対速度などが頭に直接入ってくる。だが――
「もとより承知している!」
振り向きざま、遠心力を利用した鋭い一撃。それに触れた重厚な装甲を持つ重騎士は、しかし、その装甲は意味をなさずに胴体と腰が離れ離れになる。
両肩に止められている細長いマントが軽やかに舞い、次の瞬間爆風で激しくなびいた。
だが、マントは安らかに地面に垂れることはなく、休むことなく舞い揺れる。周囲には五十騎はくだらないほどの重騎士がいるのだ。それらを全て鉄塊に変えるまで、マントは常に情熱的な舞を舞わねばならない。
そしてまた、マントは新たな舞を踊り始める。
<上に一騎、気をつけて!>
その言葉に急かされるように上を見ると、跳躍した重騎士がこちらに向かって剣を突き出しているのが見えた。剣の切っ先が、獲物を仕留める狼の牙のように鋭い光を反射させている。
「チッ……なめるな!!」
その重騎士の剣を紙一重で避けながら、アークは重騎士に突きを入れた。そして、重騎士が突き刺さったままの剣を振るって周囲の重騎士を薙ぎ払いながら、その遠心力を利用して剣に突き刺さった重騎士を剣から抜き、重騎士を遠くへ吹き飛ばす。フォルセティの剣から解放された重騎士は、落下点で三騎の重騎士を巻き込んで爆散し、辺りを茜色に照らし出した。
その凄まじい光景に、フォルセティは思わず息を呑んだ。
(<この人間、認めたくはないが、強い……! どうやら、口先だけの人間ではないようだが、しかし、この強さ……>)
よくは分からないが、何かとても危ういような気がする。フォルセティ達「神」の思考では計り知れない何かが感じられるのだ。そしてそれはどうやらライラにも伝わっているらしく、恐れのような、畏れのような思考が感じられた。
「まだまだだ…………こんなもので、すべてが終わると思うなよ!」
そんな一人と一騎を知ってか知らずか、アークは恐れおののき始めている銃騎士達に向かって再び突進した。
「な、なんなんじゃこれは……」
ライオス=リッケンバーグは、今目の前で起きている出来事に唖然としていた。
あちこちで爆発がおき、重騎士が駆逐されていく。周辺の被害も多くなってきていて、下層の市民や奴隷達を動員して新しく補修した壁や床は穴だらけになっている。リッケンバーグの兵士たちも、かなりの人数がその命を爆風と共に散らしている。
「我がリッケンバーグが、たった、たった一騎の重騎士に………………こ、こんな、こんなことが…………」
そこでライオスはあることに気づいた。
「そ、そうじゃ!! あ、あの女! あの女は居らんのか!? この劣勢に、どこで油を売って居るのだ!! 我が国に最大限の助力をするといっておきながら…………グギャッ!?」
最後の悲鳴は、突如降ってきた重騎士の破片が頭に当たったせいだ。頭から血を流し、悲鳴をあげながらしりもちをついた。
そうやって頭を抱えながらもだえている国王の視界に、不意に影が差した。涙と鼻水、口元からはよだれまでも垂らしながら後ろを振り向くと、そこにはアークを倒した、黒き重騎士を駆る少女がいた。
「お、おお! こんなところにいたのか。このままではあ奴のなすがままじゃ。早う、前のときのようにたくさんの重騎士を……」
だが、そう言われても少女は動く気配を見せない。それどころか、その光のない瞳はライオスすら見てはいない。
「な、何をしておる!? 早う重騎士を出さんか! あの時、世界を支配するほどの力を与えるといったのは貴様じゃろうが!!」
その言葉に、やっと少女はライオスに顔をむけた。同時に、鉄の首輪につけられている鎖が心地よい音を立てる。
「……用…………済み………………」
その言葉に、ライオスの目が、瞳孔が大きく見開く。非難の言を少女に浴びせようとするが、あまりの愕然に口がうまく動かない。
その様を、少女は相変わらずの無表情で見やる。が、すぐに視線を外し、少女は重力を感じさせずに中に浮いた。
「待って……る…………」
「か、きっ、貴様っっ!! このワシを、このワシを誰だと―――――」
やっと開いた口でそこまで言ったものの、途端に発生した空気を裂く音によって言葉が中断された。その音はだんだん大きくなる。すなわち、こっちに向かっているということだ。
嫌な予感がした。
慌てて振り向くと、アークに破壊された重騎士がこちらに向かって降って来る光景が見えた。
「なっ!? だ、誰か……」
ライオスは助けを求めようとしたが、周りには既に誰もいない。もちろん、あの少女もだ。
その間にも、重騎士はライオスとの距離を縮めている。もう逃げるヒマもなく、ライオスには何かを講ずる手段もなく…………
「ワシは、ワシはライオス=リッケンバーグだぞ……神に愛された国の国王だぞ…………それを、それを…………ウオアァァ――――――――ッッッ!!!」
その悲鳴は長く続くことなく、ライオス=リッケンバーグは爆風と轟音に飲み込まれた。
何かが爆ぜる音。火の粉が飛ぶ音。膨大な熱によって、空気が荒れ狂う音。
周囲には炎と音しかない。
いや、それ以外も確かに存在する。だが、人も重騎士も、苛烈なまでの熱の奔流には抗うこともできず、すこしづつその形を失っていく。
だが、その中にあって唯一形を失わないものがある。
白銀の重騎士、フォルセティである。
特殊な方式で精錬された金属を障壁で何層もコーティングした装甲は、炎如きに屈しはしない。
「……出て来い。そこにいるのは分かっている」
アークは背中に背負った盾を器用に左手だけで外して装備し、重騎士の潤滑液で濡れた剣を何もない方向、前方に向ける。
それに応じるかのように、前方で音がした。鉄が擦れ、重いものが地面を踏みしめる独特の音。それも、聞き覚えのある音である。
だんだん近づいてくる。規則的な足音が少しずつ大きくなっていく。
そして、前方百メートルのところで、それは姿を見せた。
炎に囲まれ、赤色の光に照らされる巨人。
漆黒から生まれた、夜よりもなお暗き重騎士。
そして、自分の体を切り裂き、前回の戦争でエルリナが負けた一番の敗因。
相変わらず、その輝く双眸には人間には計り知れない何かが潜んでいる。
「待っていたぞ。今こそ、全てのツケを払わせてもらう」
白銀の巨人は、敵意を刃にともらせ、それを漆黒の巨人へと向ける。
漆黒の巨人は、いつのまにかその右手にロングソードを、左手に鋭角のみで構成された矢じりのような形の盾を持っている。そのどちらも、数多の血を吸ったかのように赤黒く、血で濡れたかのような光沢をもっている。
フォルセティは顔の横まで上げた剣の穂先を前方に向け、体を盾で庇いながらいつでも動けるように膝とつま先を軽く曲げる。
漆黒の巨人は剣を突き出して半身になり、腰を落としてどっしりとした構えを見せる。
二騎はそれぞれ構えを取ったものの、一向に動く気配を見せない。相手の隙をうかがっているのか、それとも別のことを考えているのか……。
緊張感が急激に張り詰め、圧倒されているのかフォルセティもライラも押し黙ったままである。それほどの緊張が、辺りを支配していた。
立ち尽くす二つの重騎士を炎は舐めるように燃え盛り、黒煙によって覆い尽くされた空は太陽の光がほとんど届かない。炎の光だけが、辺りを照らす唯一の手段だ。
火の粉が舞い、漆黒の重騎士に優しく触れる。炎が生み出す風が、白金の重騎士のマントをたなびかせる。
まだ、二騎は動かない。制御室内の温度が上昇し、ライラの頬を汗が伝う。
その汗が柔らかなあごのラインを伝って、制御室の床に落ちたとき、
大音響。
どこかで地面を揺るがすほどの大爆発が起きた。恐らく、重騎士の駆動機か燃料でも爆発したのだろう。
そして、それを契機に二騎は弾けるように動いた。
「うおおおおおおっ!!」
アークは左手の盾を文字通り盾にして接近する。
漆黒の重騎士が、赤黒いロングソードを振り上げ、盾からもれた頭頂部を狙う。
瞬速で振り下ろされる刃。その速さは、アークの斬撃に勝るとも劣らない。
だが、
「甘い!」
アークはそれを盾で横に弾くように払う。
鉄と鉄がぶつかることによって、耳をつんざく甲高い音と火花が飛び散る。
そして、無防備になった漆黒の重騎士に、アークは右手の剣で突きを放つ。
しかし、剣は空を切った。漆黒の重騎士が上半身を反らせることによって紙一重の差でかわしたのだ。
アークは急いで剣を引き戻し、次の動作へ移ろうとする。
だが、
「!?」
漆黒の重騎士が一瞬にして眼前から消えた。
敵を見失ったアークは、焦りを感じて眉根を寄せた。
だが、それも瞬間のことだ。本能的に感じた敵意が、理由もなくアークを跳躍させた。
そしてそれは予想通りの結果となり、足元を漆黒の重騎士の刈るような下段回し蹴りが通り過ぎる。
そして、ピンチはチャンスとなる。
「終わりだ!」
しゃがんだまま背後を向いた漆黒の騎士に向かって、落ちながら剣を逆手に持ち替え、体重を乗せた一撃を放つ。
だが、それさえも決定打にはならない。
後ろを向いたままの漆黒の重騎士は、まるでそれが見えているかのように体を右に少し捻り、盾を前に出すことによってそれを防ぐ。
さらに盾と剣の角度を変えることによってその力を左側に流し、態勢を崩し無防備になったフォルセティを柄で殴り飛ばす。
装甲がひしゃげはしなかったものの、斜め上方に吹き飛ばされて20メートルほど距離が開く。
アークは軽やかに空中で一回転し、難なく大地に降り立つ。このような柔軟な動きができるのは、アークがフォルセティと一体化しているからということもあるが、それよりもむしろアークの能力によるところが大きいだろう。元暗殺者は伊達ではない、ということである。
降り立ったと同時、漆黒の重騎士も立ち上がり、こちらに向かって突進を始める。
相手のパワー、スピードはほぼ互角。
さっきまではいつものクセがなかなか抜けず、普通の重騎士の動かし方のつもりで動いていた。だが、もうこいつには慣れた。
「ならば、見せてやろう……俺本来の戦い方を!!」
これならば、ものを確実に破壊するための、自分自身の戦い方のほうがいける!
急に、アークは漆黒の重騎士に向かって盾を投げ放った。
相手は多少ひるんだものの、突進のスピードが緩むことはない。
視界を遮る、迫り来る盾を左手の盾で弾き、その先にいるはずのフォルセティを下から上へとなぎ払い……。
「!?」
しかし、なぎ払ったのは燃え盛る炎によって熱くなった空気のみである。そこにいるはずのフォルセティがいない。
慌てて左右を振り向き、漆黒の重騎士は相手を探そうとし――――――
「遅い」
後ろ、やや上方から声がした。
急いで振り向こうとする漆黒の重騎士、だが、言葉どおりもはや遅い!
斬!!
鉄が強制的に分断され、左腕の肘から下が宙を舞う。
「チッ」
相手の視界を遮った上で相手の背後を取るように跳躍、そのまま相手を真っ二つにする予定だった。が、敵の反応速度が思ったより早く、腕を断ち切るまでに終わったことに対してアークは舌打ちする。
「だが、これで終わりだと思うなよ!」
着地と同時に又跳躍。今度は遠心力で力を上乗せした回し蹴りだ。胸元にクリーンヒットし、その部分の装甲がへこむ。
そして、さらに猛攻は続く。
暗殺者独特の俊敏かつ音を立てないような動きで相手の懐に潜り、
「おおおおおおおっ!」
咆哮とともに、制御室を狙って何度も拳打を放つ。
鉄同士がぶつかる耳障りな音が何度も響く。そして、それに呼応するかのように胸部装甲が少しずつ粘土細工のようにへこんでいく。外傷こそ深くはないものの、中のパイロットには相当な負担がかかっているはずだ。全身骨折をしていてもおかしくないほどの衝撃である。激しい衝撃のせいで配線の断裂でもおきたのか、目の光が徐々に弱々しいものへと変化していく。
「これで……ラストだ!!」
豪雨のような拳打を終え、今度は回し蹴りに近い、刈るような変則的なかかと落としを漆黒の重騎士の顔に叩き込む。
全長八メートルもの巨人が繰り出すかかと落としは、顔面の装甲の一部を吹き飛ばして機械部分を露出させ、さらにはその勢いのまま頭から地面に叩きつけられ、土の塊を飛び散らせながら地面に少し埋まってやっとその勢いを止めた。
さすがにこれだけの拳打が効いたのか、漆黒の重騎士は関節や装甲の隙間から火花を散らし、ガクガクと体中を軋ませる。顔面に点灯していた目は明滅を繰り返し、もはや風前の灯といった感じである。
「青やチーフの、エルリナの、そして俺のからだを破壊したツケ…………」
地面に仰向けに倒れふした漆黒の重騎士の側まで歩み寄ると、アークは剣を逆手に持ち替え、
「貴様の命でもって今こそ払ってもらう」
制御室めがけて振り下ろし――――――――
ドクン。
「!?」
大きな一つの鼓動とともにア―クの体に異変が起き、その切っ先は胸部装甲のわずか数センチ上でとまった。
「グ、ウウ…………」
(何だ……クッ、これは一体……!?)
体が動かない。脈打つはずのない機械の心臓が跳ね上がった瞬間、アークの体はまるで別物のように動かすことができなくなった。
手足が鉛のように重く、無理にでも動かそうとすると軋みとともに体が悲鳴を上げる。
<何をしている、人間!! 動かねば死ぬのは我等だぞ!!>
<どうしたの、アーク!? …………! まさか、動作不良!? こんなときにっ!!>
「グゥ…………クソッ、こいつは…………………!」
ついに体を支えることができなくなり、アークとフォルセティは片ヒザをつく。
もはや、体に入れる力すら存在しない。首から下が消失したかのような錯覚を覚える。確かめようにも今の自分の視界はフォルセティの視界と同化しているので、コクピットの中にいる自分がどうなっているのかわからない。
異変に気付いたのか、漆黒の重騎士が残った力を振り絞って立ち上がる。
アーク達にとっての最大のチャンスは、一瞬にして最大のピンチとなった。
片ヒザをつく白銀の重騎士を、漆黒の重騎士がまるで勝利を確信したかのように悠然と見下ろす。
(クッ、こんなつまらんことで…………!!)
アークは死を覚悟した。体が動かない以上、アーク達に勝利の二文字を掴むことはできない。
そして、それは敗北―――死を意味する。
漆黒の重騎士が、その意を汲み取ったかのように動いた。まるで、死の覚悟を本物のものとするかのように。
「!?」
もはや、万事休すか…………!!
そう思った瞬間。
漆黒の重騎士は背中を向け、不意に正面に現れた身長大の光の魔方陣の中に入って姿を消した。
「…………?」
どういうことだ? 完璧にこちらが不利だったはずなのに、あえてとどめをささず、その場を去るとは…………。
(余力がなかった、と思いたいが……)
もちろん、それが希望的観測だということは分かっている。しかし、なんにせよ助かった。ツケを払うことができなかったのが心残りだが…………。
「今は、生きていることを素直に感謝するべきか」
そう思った瞬間、視界が燃え盛る炎ではなくコクピット周辺へと変わっていた。
レイジ率いるエルリナ混合軍は、敵を倒し、領土を取り返すためにエルリナに攻め入った。
そこで見たものは、予想を遥かに上回る情景であった。
何しろ、見たこともない重騎士があたり一体を埋め尽くす炎の中に片ヒザをついているのだから。
急いでその炎は魔導隊によって消火され、その後制御室から降りてきたアークやライラ、フォルセティによって、アーク達が敵を全滅させたことを知った。ライラやフォルセティ、そしてアークの変わり果てた体について尋ねる人は多かったが、レイジがやってきたことにより、その波は急速に収まった。
肉を打つ、鈍い音が響いた。
地面に倒れたアークは、何の感情も表さず、ただただレイジを見ている。
一時的に体が動くようになり、フォルセティから降りたアークはレイジに呼び出され、そしていきなり殴られたのだ。
「…………何故、わしがお前を殴ったか……分かるか?」
「……ある程度は。帰還したにもかかわらず、軍隊に合流せずに私的な感情で単独行動をしたことについては謝ります」
「そうだ。だがそれだけではない」
尻餅をついたアークを見る目が、さらに険しくなる。
「マリアを…………母親をあんまり悲しませるな」
それだけ言ってレイジは背を向け、鉄のブーツを鳴らしながら去っていった。
「………………」
「あらあら、手ひどくやられたのね〜」
その姿を呆けながら見ていたアークは、不意に横から来た声に驚いた。
「マリア……さん」
「でも私、本当に心配したんですよ? それ以上に、あの人だって」
あの人とは、もちろんレイジのことである。アークの頬を優しくさすりながら、菩薩のような笑みを向ける。
「あの人、結構心配性だから……。フフ、でもそんなところがステキなんですけどね」
そこまでいって二十秒。やっとマリアは自分の言った事の内容に気づいた。
「あらあら、もしかしてこれっておノロケですか? あらあらあら〜…………」
途端頬を赤くし、何故か嬉しそうに自分の頬に手を当てて首を左右に振る。
そんな光景に、人々は子供を見守るような温かい目を向ける(一部邪な目で見ていたものもいるようだが)。
そんな失礼な視線に気付かず、頬を赤くしたマリアはその視線に耐えられないかのようにその場を去り、レイジの後を追いかけていった。
「いい人……ね」
横から声がかかり、尻餅を突いたまま横を見る。
と、いつの間にかライラが側に座っていた。
胸部にライラの細くしなやかな手が優しく触れると、右上と左上にそれぞれ胸部装甲が展開する。
その中に手を入れ、カチャカチャと音を立てながら部品や動作の確認を行う。
「ああ、そうだな……」
ライラのほうを向かず、アークはずっと正面に顔を向けている。だが、これといって視線を定めているわけではなく、ぼんやりと前を見ているだけだ。
ライラのほうも、アークの顔を見ずにアークの体の中を見ている。
「何となく、アークが優しいのが分かった気がするわ」
「優しい?」
唐突な言葉に、アークはライラに顔を向ける。すると、ライラも手を止めてこっちを見ていた。
「だってそうでしょ?あの時、私のこと考えてコクピットまで運んでくれたんだから。それとも、私が役に立つってオーディン様が言っていたから助けたの?」
「俺は、人は助けなければいけないと、人の命は貴いものだとマリアさんに教わった。だから助けた…………それだけだ」
「人……ね。ま、そういうことにしときましょうか」
「…………?」
(自分でも気付いてないところがらしいというか……)
心の中で苦笑いしながら、ライラはアークの胸部装甲を閉めた。
「ハイ、終了。またなんかあるかもしれないけど、しばらくはこれで大丈夫なはずよ」
「しばらくは、か。全く、やっかいな体だ」
「でも、アークが決めたことでしょ。そんなこと今更言っても始まらないわよ」
「確かにな」
「おおお――――――――いぃっ!!アークゥ――――――――ッ!!」
急に、遠くから声が聞こえた。それも、聞き覚えのある声だ。
声のする方向をみると、遠くからマルトがこちらに走ってくるのが見えた。
「ホラ、知り合いが呼んでるわよ。行こ?」
立ち上がり、細くしなやかな手を差し出すライラ。髪が風になびいて、なんとも言えない美しさを感じる。
(まだまだやることは山のようにある。戦争を始めた各国への対処や、自国の復興。そして、『神』…………)
そう、やらなければいけないことはたくさんあるのだ。そして、時間もあまりない。だが、
「だが今だけは、しばらくこうしているのもいいのかもしれん」
ライラの手をとったアークは、ライラと一緒にマルトのほうへと歩き出した。
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