――幕間――


「ふむ、なるほどな」
 エルリナ城は北側、謁見の間よりも奥にある一室。
 シックな装いの小さな、大き目の物置といって良いほどの簡素な部屋。
 その部屋に、ヴァリトンが染みるように響いた。
 声の主はエルリナの王、プロメテウス三世である。静かに立つレイジの隣で、力強い存在感を発し
ている。まさしく、王の貫禄というものだ。
 そんな彼は現在、椅子に座って、テーブルを挟んで立っている二人に目を向けている。
 小さな執務室のテーブルを境に、並んで立つアークとライラ。その前には、椅子に座るプロメテウ
ス3世と横に控えるレイジ。
 蝋燭の穏やかな光が、そんな彼らを照らしながらも色濃い影をつける。
「事の顛末は理解した。しかし……神、か」
 5回の呼吸の後、呟くように声を吐き出す。重く、重く、ゆっくりと。
「大事だな」
 プロメテウス三世の他人事のような発言に、アークの眉が瞬間、ひそめられた。だが、それを無視
するかのように、アークの横のライラに問う。
「さて……ライラさん、と言ったか」
「あ、オーディン様の使いですけど、とりあえずアーク達と同じに扱ってもらって結構です。お気に
なさらずに」
「そうか。ではライラ、単刀直入に言おう。君が持っている情報を全て、可能な限り教えてもらいた
い」
 いきなり、ズバリと切り出した。それも、相手の立場や目的はおかまいなしに、だ。
 可能な限り、と逃げ道を作ってはいるものの、砂粒一つほどの情報も逃さないつもりなのだろう。
「だが」
 と、いきなり前置きが入った。
 それを期に、どっしりと座っていたプロメテウス三世が唐突に立ち上がる。
 ライラを見下ろすプロメテウス三世。その瞳に冷酷の欠片を秘め、ゆっくりと口を開く。
「悪いが、拒否権はないものと思って頂きたい。誰に言わなかったとしても、君の存在自体が高度な
情報の塊だ。君が他国に渡って利を得られると困る。それに何より、君という最高の情報源を、こち
らは逃す気はない。逃げるようなら、アークを使ってでも拿捕させてもらう。しかし……できること
なら穏便に済ませたい。自発的な協力をこちらとしては願っている」
 その言葉の終わりを持って、さっきとは違う種類の静寂が訪れた。緊張をはらんだ、動の静寂だ。
(やはりそうなるか)
 眉一つ動かさず、アークは今の言葉について考えていた。
 うまい。動作を加えて心理的にも威圧を行っている。物腰柔らかな口調ではあるが、その実内容は
脅迫めいている。
 しかし確かに、プロメテウス三世の言うとおりではある。餌をわざわざ誰かに渡す義理はないし、
自分で有益に使わない手はない。そのためなら、現時点でのエルリナの最強の力……アークをぶつけ
るのも厭わない。
 自分がプロメテウス三世なら、同じことをするだろう。
 しかし、
(気に食わん話だ)
 そう思うアークだが、それと同時に違和感を感じる自分がいる。
 そうだ、いつもならこうは考えない。しかし、ライラへの処遇を聞いた時に、何故か胸の中に気分
の悪いや燻りを感じる自分がいる。
 身体の故障か、とも思うが、直感がそれを却下している。
(……何を考えている。今は自分のことを考えている場合ではない)
 嫌な雰囲気の中、アークは自分自身を律することに努めた。とりあえずは、今すべきことではない

 そう、思ったときだ。
「正しい判断だと思います」
 動の空気を破るように、ライラが静の声を放った。ひどく落ち着いた声だ。王の威圧をものともし
ていない。
 しかも、まるでアークの心の整理を待っていたかのようなタイミング。
(……まさかな)
 考えすぎだ。だとしても、それに何のメリットがある。
 すぐに自分の考えを否定。いつの間にかライラに向いていた視線を、プロメテウス三世に向けなお
す。
 その横で、ライラはさらに言葉を続ける。なんとなく、自分の反応に微笑んだような気がしたが気
のせいだろう。
「ですが、心配には及びません。我が王から、この国に助力しながら試作体の稼動データを常時転送
するよう言われていますので。私にできることがあるのならば、優先順位を変更してでも進んで手伝
わせていただきます」
 力強い声の後には、再度訪れる静寂。今度は、ライラの声に塗りつぶされたかのように落ち着いた
静寂だ。
「そうか……そう言って頂けるとこちらとしても助かる。貴君の助力に、国民を代表して礼を言わせ
てもらう」
 椅子から立ち上がって頭を下げるプロメテウス三世に、ライラは慌てて両手を振って
「ってあああ、そんな別に大丈夫ですからっ」
 心底困ったような声を出した。眉はハの字に下がり、その狼狽振りがなんとも可笑しい。
 その声に顔を上げたプロメテウス三世は、緊張の抜けた笑みを作って
「ふ……面白い娘だ。とても、人の身じゃないようには見えんな」
 おどけた様にそう言うと、柔らかな物腰でいすに座る。
 簡素なテーブル越しに、ライラを見るプロメテウス三世。口調も笑みも穏やかそのものだが、その
瞳に打算の色が見えたのを、アークは見逃しはしなかった。
「さて、本題に入ろうか。どんな瑣末なことでもいい。情報を提示して欲しい」
「あ、はい。では……」
 トン。
 手に持った鉄の杖で床を突き、軽くうつむいて目を伏せる。
「作業を一時中断、最低限の動作維持を残して、他の全てを演算処理を情報の整理・受信に集中。巨
大演算装置と記憶倉庫への回線を確認……全て良好。共有記憶に接続開始……」
 言い終わって、一息ついたときだった。
 何かに弾かれたかのように、ライラが顔を上げた。
「え……接続不可!? 接続制限がかけられてる……そんな、なんで!?」
  驚きに目を開いたライラは、しかし、再度焦燥に駆られた瞳を閉じて集中する。
 だが、すぐに不安と狼狽がない交ぜになった顔を上げる。
「他の端末への接続もダメ……これって」
「む、どうした?」
 アークが、明らかにおかしい雰囲気のライラに声をかける。
 ライラは戸惑いながらアークを見上げ、
「私達、記憶とか共有できるんだけど、それができなくなってるの。だから、今引き出せるのは私の
補助記憶にある情報……つまり、オーディン様やオーディン様が治めるアースガルズ、フォルセティ
のことしかないの。それも、私は完成から間もないから、引き出せる情報も微々たるもので……オー
ディン様、一体何を考えているの?」
「……なんだと?」
(どういうことだ……助力するといっておきながら、情報の出し惜しみとは)
 分かりやすい「裏」だとは思う。だが、何を企んでいるのかが分からなければ意味がない。
 プロメテウス三世も同じことを考えていたのか、眉間にしわを寄せている。 
「言動の不一致、か」
 低く、重く、ゆっくりとした声。どうやら、一時的に考えを固めたらしい。
「まぁ、打算なしに人間に肩入れするとははなから思っていなかった。とりあず、あるだけの情報全
てを頼む」
「あ、はい。分かりました」
 焦りも覚めやらぬ間だったが、ライラは自分の知る限りの情報を話し始めた。アースガルズの概要
、重騎士――神――について、天使の存在について。表層的なものはあったが、特に重騎士に関する
ことについては有益な情報が多かった。
「ふむ、なるほど、大体は分かった。この情報についてだが、紙にまとめて後日提出して欲しい。そ
れで、これからのことだが……」
「私と陛下で以後についての検討を行う。従ってお前たちは自由だ。今日は祝いの日でもあることだ
、ゆっくりと休養を取っておけ。以上だ、下がれ」
 プロメテウス三世の言を次いで、レイジが今後の予定を述べる。ということはつまり、既にアーク
達が来る前に、今後の予定について大体話し合っていたのだろう。
 二人とも高い才を持つ者だけあって、そこの辺りは機敏である。
「了解しました」
 アークは決まり文句と共に踵を返し、2人に背を向けて部屋を出た。後ろからライラの声と早足の音
が聞こえる。
(祝いの日、か。まだまだ余裕はないというのにな)
 部屋を出て、レンガの壁と石畳の廊下を右に曲がり、木製のドアを開けるとそこは酒宴場だ。
 人が100人はゆったり入れる正方形の空間。全てがレンガと木で構成された酒宴場は、国を取り戻し
た嬉しさと、蹂躙されたという恐怖を忘れようとする気持ちとで盛り上がっている。
 その様相を見て、アークは静かに、軽く眉根を寄せた。
(士気を上げるためとはいえ……食料は無事だったからまだいいが。すべきことを考えると安易な気
もするが)
「ねぇっ、ちょっとアーク。私を置いてどこ行くのよ」
 と、声に思考が中断された。
 後ろを振り向くと、不満げなライラがこちらを指差していた。
「忘れないでよね。あなたの体は、いつ動作不良に陥るか分からないんだから」
「なったらなったでその時だ。それまで持ってくれれば、それでいい」
 ライラを無視して酒宴場の出口付近、鎧を着こんで立っている人の元まで歩んでいく。
「おお、アークか。頼まれごとは済ませておいたぞ。木材も指定の場所においてあるから、言ってく
るといい」
 酒が飲めなくて不満そうにしていた兵士は、アークを認めて顔をほころばせた。次いで、筋肉質の
体を揺すらせて指定の場所を指差す。
「助かるサムソン。恩にきる、と言うんだったか。こういう時は」
「気にしなくていいから行ってきな。友人だろ?」
 普段はこういうことは気にしないアークであったが、同僚の太い笑みを見て少しばかり気分が落ち
着いた。
「腐れ縁だがな。そうさせてもらう」
 口元をかすかに綻ばせた笑みを背に、アークは酒盛りの場を去った。

 海、そして、崖。
 細く張り出した断崖絶壁……そこに、アークは来ていた。
 波音と潮の匂い、少しばかりの土の匂いが感じられる。強く感じないのは、それだけ高いところだ
からだ。
 上から見たら、先の細い凸のような場所。その先端でアークは腕を振り上げ、そして、手に持つも
のを地面に突き刺した。
「ここからお前の祖国が見えるかどうかは分からんが、島国なら海が見えるほうがいいだろう」
 十字に組まれた木材から手を離し、アークは遠い地平線に目を向ける。
 闇の帳を下ろした空は、しかし星の灯りによって完全な闇にはならない。この程度の明るさがあれ
ば、夜目の利くアークにとっては何の支障もない。
(人のことは言えんか。俺も十分安易だな)
 血の後が残る帽子――青がつけていた整備士用の作業服を、十字の頭に引っ掛けてそう思う。
 死人に供養などは無意味であり、墓は何の意味も持たない。だが、青や室長が言うには「その無駄
こそが大切であり、『人間』らしい」のだそうだ。
 今でもその考えはナンセンスだとは思うが、今、ほんの少しだけその意味がわかったような気がし
た。
 青の帽子を見つめながら、アークはそんなことを考えていた。
 と、
「お墓……誰の?」
 上から声がした。顔を挙げると、背中から翼を生やしたライラがゆっくりと降りてくるところだっ
た。
 満点の星空に広がる、青白色の光の翼。
 その光景は、ひどく幻想的だ。
 そんな光景に見とれてか、アークは反応が少し遅れた。
「む、ライラか」
「なんだかあなた、変わったわよね……変に拘ったり、攻撃的だったり、感傷的だったり。今みたい
にお墓作るとことかさ」
 降り立ったライラの背中から翼が消え、なぜか嬉しそうにこっちを見ている。
「変わった・……だと?」
 ライラは問いに答えず、アークの前を横切って十字の前に立つ。腰をかがめて帽子を見やり、印を
切って祈り始めた。
 静かな、しかし穏やかな時間が流れる。
(俺を知っているような口ぶりだが……言う気はない、ということか)
 会ったのは今日が初めてだ。何故自分の事を知っているのか気になるが、恐らくオーディンにでも
教えてもらったのだろう。もしくは、先ほど言った通り、各端末から情報を引き出したのか。
 どっちにしろ、今のところ危害はないならほうっておいても問題はない。それより……
(感傷、か)
 今まで、自分は感情というものを知らなかった。過去に育てられた暗殺組織では、感情を不要なも
のとしていたからだ。
 物心もつかない頃から感情を排除されれば、その後に感情を取り戻すのは困難となる。だからこそ
、レイジに預けられて4年経った今でも、感情らしい感情は出たことがないし、理解も出来なかった。
 だが。
(あの戦からだ)
 今まで知らなかった怒りを感じ、特にライラに出会ってからは多くの感覚を得てきた。今、自分の
精神は確かに変わりつつある。
(まさか……オーディン、奴が何か企んでいるのか?)
 自分のことを「実験体」と言った奴のことだ。自分に何かしらの変化を促がし、データを取ろうと
しても不思議ではない。
「変なこと、考えてるでしょ」
 声に思考が中断された。没頭していたらしく、声がかかるまでライラが立っていたことに気付かな
かった。
「変なこと、とは?」
 オウムのように聞き返すと、ライラが眉根を寄せて腰に手を当てた。何故か不快と怒りがない交ぜ
になったような、不思議な表情をしている。
「だ・か・ら。怒りとか感傷とかって嫌な感じだな―とか、こんなことなら感情なんか知らなければ
良かったとか」
「……なんだと?」
 言っている意味が分からず、アークは分かりやすいほどに眉根を寄せる。だが、そんなアークを無
視して、ライラはさらに句を告ぐ。
「よくないわよ、そういうの。感情って言うのは自分自身でもあるんだし、さらに言うなら、今まで
に出会った人とかものとか思い出とか、皆否定しちゃうことになっちゃうのよ?」
 大またでこちらに歩み寄ってきたライラは、背伸びして顔をズイっと近づけてくる。
 髪の毛一本差のところに鼻があり、ついでに指までビシっと突きつけてきた。
「そういうの、大事にするのが人間じゃないの?」
 剣幕に少々押され気味だったアークだが、はたと我に返ってライラを押しとどめる。
「待て」
「え?」
「誰がいつそんなことを考えた」
「え、いやだからー……」
 ライラも、ようやく自分の思い違いに気づき始めたらしい。
 上を指差したり下を見たりと慌しく動き始めるライラ。それにアークは怪訝な視線を投げる。
「ホラ、話の流れ的にも、ね?」
「……」
「……」
「……」
「……違うの?」
「違う」
「えーっとぉ……あ、あはは、はは。ま、まぁ誰にでも間違いはあるし、ね?」
 意味もなく、乾いた笑いで誤魔化そうとするライラ。機械が間違うという異常事態にげんなりしな
がら、嘆息をついて「まったく」と一言。
 一拍の間を置いて、アークはもどかしげに口を開いた。
「まぁ、考え事は確かにしていたがな。お前の考えていることも、近いといえば近い」
「何考えてたの?」
 ストレートに聞いてくるライラに、アークは少し詰まった。
(遠慮がない……なんともやりにくい。 俺の性格に合わせて性格を変えたという話だったが、もし
かしてあれは嘘か?)
 とは言うものの、これを言うとまたうるさくなるような気がする。
 あまり考え事を長引かせても何か言ってきそうなので、仕方は無しに問いに答える。
「俺の精神についてだ。さっきの変わったという話だが、敵に対して攻撃的なのは、暗殺時代に教え
られた名残だ。実際はあれほど喋らん。……が、確かに昔に比べて『心の動き』のようなものは感じ
るな。情に流されて、戦闘に支障が出なければいいんだが」
「あなたねぇ……」
 呆れた口調で、というか思いっきりライラは呆れていた。
 また一歩近づいてアークの頭を軽くノックし、顔の近くで喋りだす。
「いい? よく聞きなさい。人間、普通感情があって当たり前なのよ。ていうか何よ戦闘の支障って
。あなたは戦闘マシ−ンじゃなくて人間でしょ? それに、感情が戦闘を有利にすることだってある
のよ。士気とかってそういうものでしょ」
「む……」
 いきなり早口まくし立てられた。しかも、理に適っている感じがして、アークは口をつぐんでしま
う。
「大体、感情云々って言ってる程度じゃ、大事なものを守る強さにはほど遠いんじゃないの? 感情
あろうがなかろうが、真に強い人ってのは勝つものだと思うけど?」
「むぅ……」
 非論理的だとは思うが、ライラの言葉には有無を言わさない迫力のようなものがある。否定すると
ころが一片もない気がして、アークは押し黙ってしまった。
 そんなアークをフフと笑い、ライラは笑顔で一回転。その場でステップを踏んで、人差し指をピっ
と立てた。
「ま、人間的に成長したってことじゃない? それに、悲観的に考えてるとハゲるわよ」
「不安要素を発見、排除するのは有用なことなんだが……まぁ、いい」
 アークはそこで言葉を区切り、左に向く。
 そして片膝をついて、両の掌をあわせた。
「確か、お前の国ではこういう祈り方をするんだったな」
 目を閉じ、青に祈り始めるアーク。その後ろで、ライラが嬉しそうにしているのが、背中を通して
伝わってくる。
(分からんことだらけだ。さらに言うなら、やるべきことも山のようにある。だがまぁ……悪いこと
ばかりではないか)
 少しばかりの間そのままでいたアークは、立ち上がって空を見上げた。
 風が弱く、空は雲ひとつない。湿り気もほとんどなく、明日は晴れそうだ。
「青さん……だっけ。アークのことは私が見ておくから、ヴァルハラで心安らかにお過ごしください
ね」
 ライラが空を見て呟いた、直後のことだった。
「……む?」
 アークは見た。
 星空の中にあるひときわ輝く青い星。その星が、ゆっくりと、嬉しそうに瞬いたような気がした。
(……)
 今感じた想いは、とりあえず胸のうちにしまっておこう。あまりにも非現実的すぎる。
 だがその一方で、忘れないようにするべきだと。そう思う自分がいる。
(どちらが正しいのかは分からんが)
 今はただ、やるべきことをやる。前に進むことが全てだ。
 だから……
 決意と共に、アークとライラは踵を返して森の中に姿を消した。




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